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【読書感想】「雪の鉄樹」罪と罰と、ゆうちゃんと。

『雪の鉄樹』遠田潤子 著

 

「鉄樹」(てつじゅ)が分からなかったのですが、何となくジャケ買いしました。

最初は暗い話が続いてちょっと読みが遅かったのですが、次第に加速度的に面白くなった印象です。

(ただし、ほぼ全編暗い雰囲気は漂います)

 

ちなみに鉄樹は、蘇鉄(ソテツ)と呼ばれる植物です。

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少しヤシの木に似た、南国風な植物です。でも日本でもよく見ますね。

本編では、それほど鉄樹は出てきませんでした。

以下、ネタバレを含みます。

 

 

あらすじ

主人公の庭師「曽我雅雪」(そがまさゆき)は、曽我造園の三代目。

祖父である初代はまだ現役で、実父である二代目は既に亡くなっている。

 

曽我家は代々「女たらしの家系」と言われるが、その造園技術だけは買われていた。

母は雅雪を産んですぐに逃げ出してしまったため、雅雪は子どもに関心のない父と、全く感情を持たない祖父の二人に育てられた。

 

雅雪は、造園業とは別に、島本文枝と孫の遼平の家に通っていた。

その訪問は十数年にわたり、遼平は雅雪が育てたと言っても過言ではない。

しかし、血のつながりがあったわけでも、島本家に恩があったわけでもない。

ただ、雅雪は過去の「罪」の「償い」のために通うのだった。

 

過去を隠したまま遼平と過ごしてきた雅雪。

ある日、遼平は雅雪の真実を知ってしまう。

雅雪は、自分の両親が殺された事件に関与していた…

 

一方、雅雪は10年以上、「あの日」を待ちわびていた。

その日だけを希望に、文枝からの理不尽な要求にも耐え続けてきた。

激しい痛みの残る、火傷にも耐えてきた。

しかし、その日を迎える直前に文枝が死に、遼平は真実を知る。

そこで雅雪は、遼平に自分の半生を語り始めたのだった――

 

罪と罰とは何だろうか

雅雪に罪はあったのでしょうか。

遼平の両親を直接殺したのは、真辺舞子、つまり雅雪の彼女でした。

彼女は有罪で服役し、13年間の懲役を受けています。

舞子の「罪と罰」は、形式的にはこれで完結するでしょう。

しかし、雅雪の罪とは何だったのでしょうか。

更に、償いとは何だったのでしょうか。

 

真辺舞子が、遼平の両親をひき殺したのは偶然でした。

雅雪に火傷を負わせた双子の兄・郁也を車で殺そうとしたところ、直前で躊躇い、ハンドル操作を誤ったために事故が起きました。

 

舞子の兄・郁也は、バイオリンに人生を賭けていたのに、自分は頂点に届くような才能がないことに絶望していました。

そこへ、妹の舞子が雅雪と共に暮らそうとしていることが判明。

更に、雅雪の父が郁也の母をたぶらかし、最後には無理心中で殺害。

これらの事実が郁也を決定的に追い込み、雅雪を焼殺寸前まで追い込みました。

 

これらの事実からすると、雅雪には罪は無いように思います。

少なくとも、自分の彼女の起こした「事故」のために、その被害者家族に13年も奴隷のように仕えるほどの罪は。

 

償い

また、雅雪の償い方は正しかったのでしょうか。

文枝は雅雪が「一生をかけて償う」と言ったのをいいことに、奴隷のように雅雪を使い、金も時間も奪っていきました。

雅雪の唯一の友人である鍼灸師の原田が指摘した通り、島本家に「償い」を押し付けたばかりに、遼平が我が儘に育った部分もあります。

 

現実問題として、犯罪・事故被害者や遺族の方が何を望むのか?は難しい話ですね。

さだまさしの「償い」では、事故を起こした遺族に対し、給料が出るたびにお金を送り続ける「ゆうちゃん」が歌われてますが、実際は金くらいしかないでしょうね。

まして雅雪のように生活を共にするのは、遺族の感情からしても無理でしょう。

 

個人的な話では、私の交通事故の加害者=会社の同僚だったことがありますが、一刻も早く転勤したかったですしね(本当はさせたかったけど)。

むち打ち程度で済んで良かったといえば良かったですが。

 

無自覚の罪

雅雪の「償う」行為自体が、新たな罪だったのかもしれません。

島本家が金銭的、あるいは遼平の教育上は助かった部分はあるでしょう。

しかし、「犯罪者側」の人間が身近にいることは、恐ろしいほどのストレスを与えることになると思います。

結果として、雅雪も遼平も救われたようで良かったですけどね。

 

人に認められること

雅雪のいびつな人生観が形成されたのは、「家族にさえ認められなかった」からだと思いました。

造園の技術こそ祖父に認められてはいたものの、それ以外の部分では、全くの雅雪に無関心の父と祖父。

家族にすら存在を認められず、それが幼少期から何十年にもわたれば、何らかの悪影響くらいでそうなものです。

 

先日読んだアドラー心理学の「嫌われる勇気」・「幸せになる勇気」では、「承認欲求を捨てよ」という教えが散々書かれていました。

少なくとも私は、完全に捨て去ることは極めて困難だと思います。

というわけで、人に関心を持つことは大事であり、好きな人に認められたいという気持ちは生きる原動力の一つだと思います。

もはや違う本の感想になってきましたが、やはりアドラー心理学を理解・納得するのは難しいですね。

 

そんなことを考えさせられる本です。

皆様の感想も聞いてみたいですし、ぜひご一読ください。

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