G-log 日々思うこと

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どこまで連帯責任を負うべき?謝罪会見で思うこと

言い方はあまりよくありませんが、最近のメディアはセクハラブームのようですね。

テレビが無いので直接見ておりませんが、何となく伝え聞くぐらいには毎日繰り返し報道されているようです。

 

財務省の偉い人(らしき)の録音テープが流出したり、

ジャニーズのメンバーとして朝の情報番組から女子高生との触れ合い番組、農家までと幅広く活躍していた方が、更に幅広く活動しちゃったり。

セクハラより重い話のようですし、示談になったとはいえ被害者がいらっしゃるので、茶化すわけにもいきませんが。

 

今回は、セクハラ問題を語りたいわけではなく、「どこまでが責任があって謝罪しなきゃいけないの?」というお話です。

ご本人が一番悪いのは明らかですが、財務省の偉い人がセクハラをしたら、その上の大臣は辞任すべき?

メンバーが性犯罪をしたら、残り4人の活動は自粛すべき?所属事務所は?

というような、「何かに属すること」について思うこと。

なお、謝罪会見自体は見ておらず、ネットで(嫌でも)入ってきた情報のみです。 

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<目次>

 

どこまで連帯責任を負うのか?

未成年の子ども(というか少年法の範疇)が犯罪を犯すと、一般的には親が責任を取ります。

それは金銭的な責任もあれば、社会的な責任もあります。

子どもは、責任能力が未熟だからです。

 

しかし、子どもであっても連帯責任を負わされるケースはよくあります。

自分は全く知らなかったとしても「同じ野球部員が暴力事件を起こした」場合、大半は、部活動禁止・大会出場禁止が言い渡されます。

知らないどころか暴力の被害者の部員もいた場合、大会出場まで禁止されるというダブル被害を受けているかもしれません。

 

では、50歳近い大人が、セクハラや性犯罪まがいをした場合には、親が責任を取るでしょうか?

取るわけありませんよね。

では上司には連帯責任があるのか?同僚は?部下は?子会社の人は? 

ケースバイケースですが、個人的には、そして私のような「ぼっち気質」としては連帯責任が非常に嫌いです。

 

他のメンバーが被害者に謝る必要はあるのか?

山口メンバーの件で、他の4人が謝罪会見をする必要があるかというと、やはり必要になります。(本人はもちろんアウト)

「5人のTOKIO」でやるはずだった・やっていた仕事はできなくなりますし、

5人を応援していたファンに対しては申し訳ないとしか言いようがないでしょう。

 

しかし、「普段から酒癖の悪い人に対して、しばしば注意をしていたものの、チームの仕事と関係ないところで犯罪を犯した」のが今回のケースだと思います。

(実際は違うのかもしれませんが、この前提で話を進めます)

他の4人のメンバーは、山口メンバーの「犯したこと」についてまでは責任を持つ必要はありませんし、謝罪する必要は無いと思います。

 

なので、体裁上は当然「被害者への謝罪」は必要ですし、感情として「事件に巻き込まれた方への配慮」は当たり前ですが、本質的には他のメンバーが被害者に「謝る」のはおかしいと思います。

繰り返しになりますが、社会通念上は謝るべきですし、そこに文句を言う人はいないと思います。

 

逆に、所属事務所の代表なり、然るべき立場の人が会見で謝るべきではないでしょうか。

TOKIOとして独立して仕事を受けているのではなく、事務所経由で仕事を行っていたことでしょう。

それをチームだけの謝罪会見を開くというのは、何とも中途半端な感じ。

 

連帯責任の範囲はどこまで?

雇われ人の場合。

セクハラ問題で言えば、セクハラを黙認したり、増長させたりする雰囲気や文化が、日頃から蔓延している組織であれば、組織の責任があるでしょう。

社長なり、代表者が謝罪するのも仕方ありません。

銀行員でいえば、顧客の金を盗んだ場合には、(盗み方にもよるけど)「銀行員」という信頼を利用したものですのでアウトでしょう。

 

しかし、本心で言えばどうでしょう。

例えば、私の部下「A」が全く知らないところで業務中に不祥事を起こし、何らかの被害を受けた方「B氏」がいたとします。

B氏に対して当然謝りますし、B氏に同情することはあっても、

本音では「私は悪くないのに、Aの奴が面倒なことしやがって…」となると思います。

ただこれは、同じ組織に属してしまい、上の立場になってしまった以上仕方ありません。

 

次に、Aが完全にプライベートで交通事故を起こし、C氏が怪我をした場合には、もはや私には何の関係もありません。

C氏は気の毒なことですが、私が謝る必要は全く無いと思います。

それでも、所属する組織によっては社会的に「謝罪しろ!」と求められる(または自発的に謝罪する)ことがあります。

日ごろから品行方正さが求められる公務員は、その典型ですね。

 

30代独身男性は何も事件を起こさないで!

「連帯責任」に近い話で、「カテゴライズ」の問題があります。

※「カテゴライズ」は私が使ってる言葉なので、正式な言い方があるのかは知りません。

日本語で言えば、直訳の「分類」というより「属性」でしょうか。

私で言えば「男性」「会社員」「独身」「一人暮らし」などの属性を持ちます。

 

で、このカテゴライズの視点から言えば、30代独身男性は特にどんな事件も起こしてほしくありません。

例えば、「男性のセクハラが多い」となれば、結局、私が「男性」に属している以上、「女性」から一定以上の警戒心と疑念を抱かれます。

なので、夜道はこっちが注意しなければなりませんし、電車等の人が集まるところでも然り。

他にも私は「独身」にも属しているので、古い価値観の人からは「変わり者」というフィルターで見られますし、「30代」に属しているので「30過ぎて独身」という合わせ技を喰らう場合もあります。

 

なので、仮に30代独身男性の起こした事件が相次いだ場合、「私に対する世間の目」も同じように悪くなります。

もっと大きな話で言えば、「男性の痴漢」のせいで女性専用車両ができ、同じ「男性」属性がある私が不利益を被るというのと同じです。

いうなれば、痴漢の連帯責任を負わされているようなものです。

 

属すメリット・属さないメリット

社長だろうが上司だろうが、いい大人である部下のプライベートの部分まで連帯責任を負わされるというのは堪ったものじゃないですね。

もっと言えば、業務中の不祥事だろうと、それが先述の企業文化、雰囲気に限らず、会社のシステム、セキュリティの甘さ等も含めた組織の問題以外ならば、

上司や社長の責任でもないと思います。

(例えば、業務中に馬鹿な社員が万引きをした場合など)

 

このように何かに所属したり、カテゴライズされるというのは、メリットとデメリットがあります。

例えば、世間的にはプロスポーツ選手というだけで、「ストイックで良い人そう」という印象があるように思います。これは「スポーツ選手」にカテゴライズされるメリット。

会社員で言えば、会社名入りの名刺で信頼されるのは所属するメリットです。

一方で、何かに属することのデメリットとしては、

散々書いたように不祥事を起こした会社にたまたま在籍していたことや、

男性というだけで不要に警戒されたり、アニメ好きというだけでキモイ呼ばわりされたりすることです。

 

ヒソカは属さない

急に漫画の話になりますが「HUNTER×HUNTER」のヒソカをご存知でしょうか。

彼に関する説明として、

「ヒソカは自分以外の誰にも属さない。自分が最強だと理解しているからだ」という文があります。冒頭に画像を貼っておきます。

 

私も同様で、極力、何にも属さず生きていきたいなあと思います。

もっと言えば、属さないで生きていける能力というか自信が欲しい。

連帯責任で誰かに責任取らせるのも嫌だし、取らされるのはもっと嫌ですし。

私は最強ではないため、給料のために止む無く会社に属してますが、

これからもできる限り「身軽」に生きていけたらと願っています。

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