どうも30代のGOです。
今朝、初めて自分の頭に白髪を見つけて軽くショックを受けました。
この歳になれば1本くらい生えてきますよね。
さて、今日は真面目な話です。
一昨日くらいにこんなネット記事を読みました。
外山滋比古氏と言えば「思考の整理学」の著者として有名です。
大変失礼ですがご存命とは。
昔、読んだことがあります。
確か、睡眠は思考の整理に良いとかあったような…?うろ覚えですみませぬ。
さて、今日はこの記事を読んで思うこと。
記事の概要
簡単にまとめると…
- 40歳過ぎたら本ではなく自分で考える。本を読むのは害であり、益はない。
- 学ぶことは模倣すること、つまり創造性を殺している。
- 40歳を過ぎたら好きな事で思考力を養え。
- 今までのコミュニティ以外に人と出会い、他人を通じて自分を知ること。
- 好きなことをしていれば自然に知識がつき、そして自然に忘れる。
- 生活に根差した自分の知識を持つこと。
こんな感じですね。
思った理屈と違った
タイトルだけ見たときには、
「40歳になったら、これまで培った知識を実践に活かせ!」的な話かと思いきや、そうではありませんでした。
まさか、「本は害である」とまで言い切るとは思いませんでした。
「本を読んでいる人は知識偏重で、思考力が衰えている」的な物言いも。
なかなか過激な発言ですね、おじいさん。
思考や人格の純粋性
「自分の思考」がどこまで「自分のもの」だと思いますか?
「本に影響を受けた」という話はよく聞きますが、
外山氏の理屈では「それは間違いでリアルな生活で得たものだけが素晴らしい」という風に聞こえました。
一理あるけど、一理しかないように思えます。
例えばですが、Aさんが普段から尊敬するBさんに素晴らしい人生の教えを受け、
それを心に決めて生きていこうと人生観が変わった場合、
Aさんの人生・思考はBさんに犯されたと言えるのではないでしょうか?
そこに読書から得たものと何か違いがあるのでしょうか?
読書だけ特別扱いする必要はない
日々の生活から得た知識が必要なモノならば、
日々の読書から得た知識もまた必要なモノでしょう。
本から得た知識を特別扱いして駄目だとするのならば、
人から聞いた知識も駄目なのではないでしょうか。
そうなると、知識とは自らの実践と研究のみでしか得られなくなります。
机上の空論にならなければ
もちろん、頭でっかちになってしまうことは私も否定しますし、
本からでも他人からでも、得た知識をいかに使うかという、
「応用力」や「実践力」が知識を得た人の真価だと思います。
本だけでも駄目ですし、実践の場が必要なこともよく分かります。
しかし、本から知識を得ることは、少なくとも何もしないよりはよっぽどマシです。
また、本から得た知識だということで、ことさら軽視する必要もないかと。
その知識に固執・妄信して視野狭窄に陥らなければいいのです。
というわけで、40歳になっても本を読んで暮らしたいと思うGOでした。
それまで、生きていればね…