最近はこの話題ばかりですが、日大のタックル問題。
今日、学生の謝罪会見で、監督とコーチの関与が明らかになったようですね。
(会見は見てませんが、様々なニュース記事は見ました)
そんなタックル問題を見て思うこと。
ちなみに私は、ザ・体育会系が嫌いなので、偏見も含みます。
<目次>
会見で分かったこと
報道による情報をざっとまとめると、
- 元々、監督とコーチの権力が肥大化
- コーチと合わせて、選手へのプレッシャーを常日頃から必要以上にかける
- 監督・コーチに逆らえば、練習試合も何もかも冷遇され、活躍は不可能
- コーチに「自分から相手を潰しますと言ってこい」と言われる
- 日本代表も辞退を強要され、選手生命を潰されかけていた
とまあ、タックルした選手も被害者だったというお話のようです。
それにしても20歳で謝罪会見を行い、これだけの事をカメラの前で話すというのは、かなりの勇気だなあと感心します。
私には出来そうにないですね。
もちろん、それでもやってしまった事は、償う必要はあると思いますが、
監督・コーチと、それを管理・監督できない日大にも大きな責任が問われます。
問題点は何だろう?
問題点ばかりと言ってしまえばそれまでですが。
一番の問題は、監督とコーチの人間性に欠陥があったこと。
二番目は、そんな人たちが絶対的な権力を持ち、監視も管理も効かない立場だったこと。
「絶対王政」にはデメリットだけがあるわけではありませんが、
上手くいくとすれば、王の能力が圧倒的で、カリスマ性があることが条件です。
どうみても、あの監督にそこまでの能力とカリスマ性はないでしょうし、人間性がアウトなので、問題外です。
それを監視する立場、会社で言えば中間管理職に当たるコーチ陣も、単なる腰巾着化しているようですので、これもやはり駄目。
体育会系の弊害
私が体育会系を嫌うのは、
- 年齢又は先輩・後輩は絶対の関係性=イエスマンが重宝される
- 先輩から受けた理不尽は、後輩にやってもいいと考えている
という2つの要素があるからです(もちろん全ての体育会系出身がそうとは言いませんが)。
この2つが絶妙に作用することによって、今回のような「浄化作用がなく理不尽がまかり通る組織」が出来上がります。
前にも言ったかも知れませんが、「スポーツ選手=健全」というイメージがどうも好きではありませんでした。
特にプロスポーツ選手であれば、競争欲や出世欲、自己顕示欲は並々ならぬものがあります。
それがスポーツ選手に一定以上は必要な能力だとは思いますが、健全とは全く異なる要素をもともと含んでいるのがスポーツだと考えています。
外部から監視のない組織はダメ
ただでさえ、師弟関係や体育会系組織では、指導とパワハラの区別があいまいになります。
今回は分かりやすいパワハラに、傷害罪が乗っかったようなものでしょう。
営業担当の会社員で言えば、上司から「ノルマ達成しないと即クビだから、下請けに無理言ってでも売りつけてこい」という指示が出た結果、
「下請けに採算割れで売りつけて何とかノルマを達成したが、それがきっかけで業績が悪化した下請け会社は倒産した」という感じでしょうか。
組織が閉鎖的になり、権力者への管理・監督が効かないままであれば、今回のような事件がまた起きてしまうのではないでしょうか。
やはり、きちっとした外部の監視と自浄作用が無ければ、組織というのは非常に腐りやすいのでしょうね。
ネットのニュース記事・新聞だけで情報を得る弊害
余談ですが、ちょっとお恥ずかしい話。
私も「関西学院大学」をずっと「かんさい」と思い込んでいました。
ネットのニュース記事や、新聞だけだと「文字」として判断するしかないので、
「かんせい」だということに気が付かないままになってしまいます。
同じように「尼神インター」は「あまがみいんたー」だと脳内で読んでました。
単語は音で聞かないと間違えやすいですし、記憶にも残らないように思います。
反省。