G-log 日々思うこと

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【今週のお題】幼い頃、父親に完璧を求め過ぎていたように思う

今週のお題「おとうさん」

 

父の日でしたね(書いてるのは当日ですが)。

若い頃は父の日に特に何かした記憶はありませんが、

まあいい歳になってくれば、それなりに何かすることが多いです。

そんな父の日について、少し真面目に思うこと。

 

<目次>

 

父の日の由来

父の日の由来をみると、Wikipediaですが、こんな事が書かれていました。

ある女性の、父への感謝という純粋な気持ちからスタートしたようです。

1909年アメリカワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッドSonora Smart Dodd)が、手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。

最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。

(Wikipedia「父の日」)

 

式典だけで終わりにならなかったのは、

既に母の日が出来上がっていたからのようです(国によって異なるようですが)。

 

ですので、母の日を歴史もついでに見てみます。

父の日ができる少し前、1870年にできたようです。

アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ・ジャービスは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。

母の日は、どちらかというと戦争反対・政治的活動の一環で生まれたようですね。 

 

母の日=カーネーション、父の日=???

母の日は、その起源からカーネーションを送る習慣が決まっています。

私も小学生の頃、学校から母親あてにカーネーションが配られていました。

(今だったら、それはそれで問題にされそうですけど)

 

一方で、「父の日といえば」というものは決まっているのでしょうか?

なんだかんだで、「文具」や「ネクタイ」などのオフィス・事務系のモノ、

あるいはアルコールなどの酒類が定番に選ばれているような気もしますが、

「コレ」って不動のモノはあまり聞かないですね。

 

特に、父親が現役で働いている人はそれでいいのでしょうが、

もう定年を迎えている父親って、ほとんどモノは要らないんですよね。 

最近はプレゼント代わりに食事をおごることが増えているように思います。

 

幼い頃、父親に完璧を求め過ぎていたように思う

さて、そんな父の日なので、父について思うこと。

私は反抗的な子どもではありませんでしたが、中学~高校くらいまでは父親があまり好きではなかったように思います。

私の父は基本的に明るい反面、気分屋であったため、主張がころころ変わっていました。

自分だけで収まるならいいんですが、結局付き合わされる方は結構疲れるんですよね。

また私自身が三人兄弟の真ん中で、特に何の問題も起こさない子でしたので、私への興味が最も薄かったこともあったでしょう。

(無干渉について、それはそれで良かったなあと今では思っていますが)

 

しかし、私が生まれた時の父親の年齢を超えた今になって思うことは、

当時の父親にとっては、それも仕方ないことだったのかなと思います。

今にして思えば「親なんだからもっときちんとしろ」という私(子ども)の期待と、それが期待外れだったことで、勝手に苦手意識を持っていました。

親だからと言って、もちろん常に気分も安定して人格的に素晴らしく、いつでも子どもを応援している訳ではありません。

当たり前ですけどね。

 

私が高校生くらいの頃は、上は大学、下は高校受験と、我が家で一番お金もかかる時期でした。

それでも奨学金など借金することなく3人とも大学にも行けたことは、素直に感謝しています。

 

子育てで成長するのは親というけれど

私自身は子どもがいませんが、よく子育てについて言われるのが、

「子どもを育てることで、自分の成長にもつながる」というものです。

だから子どもを作れ、とも言われますがそもそも相手もいないけどね。

 

さておき、これは一つの事実だと思います。

一方で、人の親だとしても人格的に問題のある人も多くいます。

(うちの職場のことじゃないですよ)

仮に子育てを通じて成長するという理屈が正しいのだとしても、

「成長してもこんなものか?子どもや家庭は大丈夫なのか?」と思ってしまう人。

まあ、成長の方向はそれぞれですし「親はなくとも子は育つ」とも言いますしね。

 

今の親との付き合い方

今は、隔週~月1回くらいのペースでは会う機会があります。

実家は近いので、会おうと思えばすぐ会えますが、お互い自立するなかで、そこまで頻繁に会うこともなかろうと。

 

また、滅多に酒を飲まない私ですが、3か月に1回くらい、父親に居酒屋に誘われることもあります。

相変わらず他の兄弟に比べて私への興味は薄いようですが、それでも家が違うと気になることもあるのでしょうね。

お互いが大人になったことで、いい距離感になったとも言えるでしょう。 

長生きしたいとは全く思いませんが、親よりは長く生きようかなとは思いますね。

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「旅行を送る」(または一緒に連れていく)というのに憧れているのですが、そんなに旅行が好きではないらしく苦労しています。

正確に言えば、準備や日程確保が面倒くさいらしく、旅行自体は好きなようですが…

その辺りは、お互い大人になっても難しいものです。

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