久しぶりに真面目な話です。
大人になるにつれて、教養を身につけたいなあ、つけておけば良かったなあと感じるこの頃。
Wikipediaですが、教養の意味は以下の様に書かれています。
教養(きょうよう)とは個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。
そんな、教養について思うこと。
<目次>
なお、教養≒知識&経験という意味合いで論じています。
教養がある=引き出しの多さ
私が思う「教養がある」とは、「引き出しが多い」ことにあると思います。
具体的に言えば、どんな話題にもついていけるということ。
教養というと、文化的で高尚なイメージを持つかもしれませんが、極端な話、性風俗やギャンブルだって知っていることは教養になると思います。
様々な人と話すと、突拍子もない話題が出てくることがあります。
例え深く知らなくても、それについていく事ができるかどうかは、教養の有無=引き出しの数によると思います。
また、一つ一つの引き出しは、小さくても良いと思います。
分かりやすく言えば、「狭く深く」よりも「広く浅く」ですね。
深く知らなくても「〇〇といえば□□」というような、代表的な部分を知っているだけでも全く印象も異なるでしょう。
「ググれば分かる」でも知っていた方がいい
前にも書いたことがありますが、最近はググれば大抵のことは何でも分かります。
ググればすぐに分かる事を覚えていても仕方ないという論調や、AIが進化すれば知識の部分で人間が適うはずはない、という話もよく聞かれます。
それは一部では正しいことだと思います。
ただ、それでも知識があるに越したことはありません。
知識がなければ、その人はWikipedia程度にしか役に立ちません。
更に言えば、知識だけでは教養とも言えません。
知識を使いこなせて初めて教養があるといえ、それがその人の価値といえるのではないでしょうか。
それでは、知識を使いこなすとは何か
統合思考という思考方法があります。
元々は、二者択一の選択を迫られた際に、どちらか一方のみを選ぶのではなく、それらを統合させて、より良い結果を選択することを言います。
A案とB案のいいとこどり的な発想ですね。
これは知識でも言えることです。
一つの事象をググって終わりはスマホかパソコンが使えればできますが、
それを自分の中の知識や経験と統合して新しい意味を与えることは、教養が無ければ決してできないでしょう。
例えば、ちくわについてGoogle検索すれば、練り物ということは分かります。
しかし「そうだ、ちくわと一緒に鉄アレイを投げよう!!」という発想は、Google検索しただけでは分かりません。
まあこの例え話は間違っているということは自覚していますが、とにかく調べて得ただけでは生まれない発想があるということです。
ちくわと鉄アレイの関係が分かった人は、たぶん私より年上かなあ。
教養があれば人生が豊かになる
というと、綺麗ごとでありがちな結論に聞こえますが、これも正しいなあと実感します。
例えば、私の好きな旅行。
ただ単に観光地に行くのではなくて、あらかじめ「ここはこんな歴史があって、なのでこんな文化が残っていて、この食文化が伝わり…」といったことを知っていれば、
より味わい深いものになるでしょう。ならない人は私とは合わないでしょう。
これも知識や教養と、実際に訪れた観光地が結びつくことで、何らかの感情をもたらすことになります。
私に戦国ブームが来ていたのは少し前のことですが、その時に行った「関ヶ原町」は大変味わい深いものでした。
人生を豊かにしたいという意味では、教養は引き出しの数だけでなく、一つ一つの深みも必要かもしれませんね。
音楽と芸術は難しい
私もまだまだ教養がないので、受け止める能力が乏しいです。
特に、音楽と芸術(アート)は全くよく分かりません。
アートでいえば、写実的な絵の上手さは理解できます。
また、幾何学的なデザインも何となくは理解できますし、「そこはかとない不気味さ」を醸し出す絵も何となく好きです。
ただ、例えばゴッホのヒマワリの価値はよく分かりません。
モナ・リザの素晴らしさも、きっと分からないでしょう。
「ゴッホのヒマワリが〇〇億円で売れた」「モナ・リザの前には毎日行列ができている」という客観的事実からは「凄さ」は分かりますが、そのものを前にして、果たして価値を理解できるでしょうか?
これは知識や教養というよりも、感性の問題かもしれませんが…
仕事で使わない勉強もしていこう
私の今の仕事からすると、法律やら経済を学ぶ方が、仕事への役立ち度は高いです。
多くの人もそうでしょうし、業種によってはプログラミングやら福祉制度やら心理学やらを学ぶ方が直接仕事の役に立つという人もいるでしょう。
逆に言えば、仕事をしていれば嫌でも(多少は)その辺りの分野の知識は入ってきます。
一方で、例えば「西洋美術史」については今まで仕事で使ったことはないですし、たぶん今後も使うことはないかもしれません。
しかし、「人生を豊かに」と考えれば、無駄な知識・勉強というものはないのかもしれません。
キャバクラもギャンブルも行ったことはありませんが、それらも体験すれば、教養(≒経験)として役に立つこともあるでしょう。少なくともおっさんとの話題合わせ程度には。
パチンコは20歳になった翌日くらいに1000円だけやったかな。あと競輪も一度だけ。
先日、私の友人の旅行会社の社員が「日本の乾燥剤メーカーは2社の寡占状態で~」から始まって、乾燥剤について熱く語っているのを見て、「なんて旅行会社としては無駄な知識を学んでいるのだろう。そして輝いて見えるのだろう」と感心しました。
そういう者に、私はなりたい。
というわけで、買った本がこちらの「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養」という、今まさに欲しかった本。
365項目、1日1ページとして、毎日1個、教養が学べるという本です。
(重くて持ち運びに向かないけど)
気になる1ページ目は、「アルファベット」の成り立ちについて。
4000年前のエジプト人が、奴隷向けに簡単な文字として開発したのが大元になっているとか。なるほどなあと感心しました。
これを読もう!と意気込みましたが、「月曜から」という本の作りでしたので、続きは週明けに読み始めようかな。
これで少しは教養を身につけて、豊かな人生を目指したいですね。
(飽きないといいけど)