G-log 日々思うこと

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平成最後の夏。和暦は時代の振り返りに使ってこそ価値がある

私は昭和の終わりの頃に生まれたので、物心がついたころには平成でした。

なので、実質的には元号の変わり目に生きたという実感がありません。

最近「平成最後の夏」というフレーズをよく見かけました。

 

そんなわけで、和暦と西暦について思うこと。

 

 

システムで邪魔な和暦を使い続けた銀行と行政

私は新卒で銀行に入ったとき、表記が全て和暦という文化に驚きました。

35年で住宅ローンを組んだら、完済日が平成58年とか。

(不謹慎と思われるかもしれんけど)そんなに天皇陛下がご存命なわけないだろうと。

 

もっと驚いたのが、システム上も和暦を使ってるんですよね。

どういうことかというと、伝票処理で日付を打つときも、

「2018/08/29」ではなく「30/08/29」なんですよね。

 

いくらシステム素人な私でも、これだけで先行きを見据えていないシステムというのが分かります。

元号が変わって01年~からスタートしたら、平成05年と新元号05年をどう区別するつもりだったのか?

和暦という仕組み自体が、原則数字で全てを表現するデータやシステムとの相性が悪すぎです。

01年というのが、平成元年なのか昭和元年なのか、新元号なのか区別できない。

 

差も単純には出せません。

大正13年が何年前か計算しようとしたら、大正13年を西暦に直して、今が2018年だから…という計算が必要になります。

 

そして何より、いつ終わるか分からない。

また不謹慎な話ですが、生前退位が決まったとはいえ、それまでの間に何があるかは分かりません。

これを書いているのは平成30年8月28日ですが、平成30年8月29日は来ずに、新元号8月29日になるかもしれない。

 

行政も同様で、未来について「2030年」とでも書こうものなら、
「平成42年だろ!」と言われてしまいます。

 

自分の生まれた年を西暦を言えない人もいる

高齢者たちは、自分の生まれた年を西暦で言えない人も多いんですよね。

銀行にいたころ、社長やら個人事業主やらから、西暦で生年月日を貰う際に、

「昭和〇〇年は西暦何年だ?」「西暦知らないんだけど」という質問を受けることも多々ありました。

(西暦でもらう書類もありましたので)

私からすれば「そんなのも知らねえのかい」という感じでしたが、これはジェネレーションギャップなのでしょうか。

 

時代の象徴と振り返りとしての和暦

和暦に実務的な価値があるとすれば、時代を振り返ることでしょうか。

過去の歴史・その振り返りにおいては、元号が役に立っていると思います。

「江戸時代」では広すぎますが、享保〇〇年、天保〇〇年なら、より細かく時代背景を区分することができます。

(と言っても、江戸時代の元号は全く詳しくないですけどね)

 

近代でも「明治維新」、「大正ロマン」、「昭和歌謡」といった元号+時代背景による説明と解釈は有意なものでしょう。

これが開国以降~だと漠然としますし、1990年代、2000年代といった10年刻みは細かすぎてしっくりこない場合もあります。

ざっくりとした歴史・時代解釈における和暦の役割は、今でも大事でしょう。

(もちろん、元号でひとくくりにするのが適さない場合もありますけどね)

 

平成最後の夏…だから何?

個人的には、平成最後の夏という言葉に魅力は感じませんね。

冒頭にも書いたように、平成しか知らない私にしてみれば、元号の改正について思うことがよく分かりません。

それならば33歳として最後の夏ですし、今日は平成最後の8月28日です。

 

結局、「夏の終わり」に切なさを感じる人が多数いる中で、その機運の盛り上げに使われているフレーズが「平成最後の夏」なんでしょうね。

そんな程度の言葉でも、人を動かすような、良いことのきっかけになればいいのですが。

 

とりあえず、社内のシステム担当者としては「面倒くさいからこれを機に全ての和暦をシステムから外したい」です。

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