G-log 日々思うこと

GOです。旅・ゲーム・その他雑記ブログなので、散らかしています。仲良くしてね。お問い合わせはTwitterかコメントで。

【ひとり旅】山口県・松下村塾。尊王攘夷の中心となった長州藩士を輩出した学び舎へ。

さて、ひとり旅の続きです。

萩に一泊したのち、朝から吉田松陰を奉る「松陰神社」および「松下村塾」に行ってきました。

吉田松陰といえば、幕末期の思想家として有名な方ですね。

世界文化遺産にも登録されているとのことです。

 

f:id:GK_GK21:20180906174340j:image

 

 

そもそも吉田松陰とは?尊王攘夷とその半生

そもそも吉田松陰がどんな人物なのか?歴史のお勉強です。

 

吉田松陰は、江戸時代末期に長州に生まれた思想家です。寅之助、大次郎という名前の時期もありました。

松下村塾は、正確には彼の叔父が開設したもので、吉田松陰自身もそこで学んだそうです。

 

吉田松陰といえば、尊王攘夷思想を説いた思想家。

後の世で活躍する高杉晋作、山県有朋、久坂玄瑞などを教育しました。

f:id:GK_GK21:20180910212131p:plain

 

彼がそのように説いたきっかけは、海外列強に触れたことです。

その熱心さは、黒船艦隊に勝手に侵入し、逮捕(自首)されたほど。

その後は、松下村塾を引き継いで弟子と議論を交わしていたが、幕府が1858年、日米修好通商条約を締結したことに抗議したことなどで「危険人物」とされてしまいました。

翌1859年には、「安政の大獄」により江戸に投獄されました。その際、老中・間部詮勝の襲撃計画を自供し、30歳という若さで斬首されました。

 

しかし、尊王攘夷・倒幕運動は彼の死をもって加速したことも否めず、多くの長州志士たちを導いた指導者たる最期でした。

 

本居宣長

すごくどうでもいい話ですが、「本居宣長」と肖像画が混ざって記憶していました。

こっちが本居宣長。

f:id:GK_GK21:20180911195314p:plain

 

それでは松陰神社と松下村塾へ

それでは、松陰神社および松下村塾目指して侵入していきます。

場所は、東萩駅から徒歩15分程度のところにあります。

 

 

松陰「神社」ですので、鳥居もしっかりと建てられています。 

f:id:GK_GK21:20180906174335j:image

 

こういう場合も境内というのでしょうか?

さておき、鳥居をくぐるとプチ迷路のように道が広がっています。 

f:id:GK_GK21:20180906174153j:image

 

吉田松陰の名言×2

こちらは吉田松陰の石碑。

「先生」と言うあたり、かなり敬意を表されていますね。

(神社まであるので当たり前ですが)

 

「学は人たる所以を学ぶなり」とは、すなわち「学問は人間としてどう生きるか、何をするかを学ぶためのものだ」という意味です。

高杉晋作は血気盛んな武士だったと伝え聞きますが、こうした教えを受けたおかげで、政治的にも長州藩を引っ張るだけの人物になれたのではないでしょうか。

f:id:GK_GK21:20180906174156j:image

 

もう1つは句ですが、「親思う心に勝る親心 今日の音ずれ何ときくらん」。

上の句は、さだまさし「親父の一番長い日」にもあったので聞き覚えがありました。

下の句は読んでもよく分からなかったのですが、調べると、そもそもこの句は「辞世の句」だそうです。

 

安政の大獄後、処刑される寸前に両親にあてた手紙で、

「私が親を思う以上に、子を思う親心を持つ親。そんな親は、今日の音ずれ(=処刑の知らせ)をどのように受け止めるのだろうか」という句だそうな。

最期に親への思いがありながら、処刑という非業の死ですね。
f:id:GK_GK21:20180906174308j:image

 

松陰神社(逆光!)

朝7時30分ころにたどり着いたところ、完璧な逆光でした。

鳥居の真ん中には、「松陰神社」とちゃんと書かれています。

f:id:GK_GK21:20180906174111j:image

 

こちらがご本尊。普通の神社といえば神社ですが、朱色は少なめ。

私のような素人には、寺との区別があまりつきませぬ。

f:id:GK_GK21:20180906174329j:image

 

松下村塾はかなり小さめ

続いて、同じ敷地内、徒歩1分の松下村塾へ。

最初の感想は「小っさ!!」でした。

f:id:GK_GK21:20180906174340j:image

 

明治の豪傑を何人も輩出したというイメージから比べると、かなり小さいです。

平屋ですし、30秒くらいで家の周りを一周できるくらいの大きさ。

塾と言いながらも、街中の東進ハイスクールや四谷学院の方が大きいでしょう。

f:id:GK_GK21:20180906174312j:image

 

ここが、いわゆる「塾」の講義が行われていた場所。

講義というよりは、吉田松陰と弟子の談義に近かったそうですが。

広さは6畳くらいしかないように見えました。

f:id:GK_GK21:20180906174344j:image

 

こちらは正面側。

玄関らしき入り口と、小さな門がある程度。

f:id:GK_GK21:20180906174306j:image

 

たぶん、3DKか4DKくらいの間取りですかねえ。
f:id:GK_GK21:20180906174108j:image


しかも、吉田松陰の教育の場として使われたのは、1年程度だそうです。
f:id:GK_GK21:20180906174315j:image

しかし、吉田松陰のカリスマ性もさることながら、「男子三日会わざれば刮目してみよ」というように、一年もあれば多くの人物を動かすことができたのでしょう。

 

歴史に「IF」はありませんが、吉田松陰がいなければ、明治維新はもっと遅れて、植民地になっていた可能性も無きにしも非ず。

同様に、もっと良くなっていた可能性も無きにしも非ずですが、それは吉田松陰に失礼ですかね。

 

萩市は歴史好き必見の町

その他にも、伊藤博文の生家やら、木戸孝允旧家(少し離れるけど)など、萩市は歴史好きには堪らない場所でしょう。

私のような歴史素人でも、多少は楽しむことができました。
f:id:GK_GK21:20180906174320j:image

 

屋根が修繕中の伊藤博文旧宅。
f:id:GK_GK21:20180906174325j:image

 

初代総理大臣・伊藤博文像。

f:id:GK_GK21:20180906174318j:image

長州戦隊・チョーシューファイブ。全員セピア色。

f:id:GK_GK21:20180906174528j:image

 

私のような歴史素人が語るまでもないですね。

明治維新だけではなく、古くは毛利家の萩城下町なども雰囲気があります。

私は残念ながら、夕方~夜及び早朝しか訪れていないので、

ロクに店も開いておらず、博物館(萩博物館や吉田松陰歴史館)には行くことができませんでした。

 

萩市は車以外のアクセスは比較的悪いと思いますが、歴史好きな方、興味のある方はぜひ訪れてみてください。

〝こんな記事もあります〞