函館ひとり旅、今回は五稜郭です。
名前と見た目は知っていますが、恥ずかしながら何だかよく分かっていませんでした。
ちなみに見ないで描こうとしたら、描けませんでした。
多少は惜しいと思わんかね。
五稜郭の行き方
五稜郭は、函館駅から北東方向に4km程度のところにあります。
頑張れば歩けますが、バスまたは市電で行くのがいいでしょう。
五稜郭タワーまでは、「五稜郭公園前」駅から徒歩5分ほどです。
途中にクマが現れるので注意しましょう。
進んでいくと、五稜郭タワーが見えてきます。
高さは107m。
これは二代目のタワーで、2004年に旧タワー老朽化に伴い、新築されたそうです。
不安定そうな形をしていますが、展望デッキがあることが遠目にも分かります。
それでは入っていきましょう。
五稜郭タワーの1階はお土産売り場・カフェなど
五稜郭タワーの1階部分は、お土産売り場になっています。
函館のお土産+北海道土産がある程度、ここで揃います。
五稜郭らしく、新選組関連(土方歳三関連)グッズも売られていました。
五稜郭と土方歳三について(お勉強)
次に、五稜郭について。
五稜郭は、鎖国制度に終止符を打った、ペリー来航による影響で建てられました。
ペリーがやってきた1853年以降、日本は紆余曲折あったものの開国へと進みます。
翌1854年には、日米和親条約が締結され、下田(静岡)とともに箱館(今で言う函館)が開港されることとなりました。
当時、箱館は松前藩が治めていましたが、江戸から情報も来ないままアメリカとの交渉にあたりました。
そこで、箱館には多くの西洋文明が一気に流れ込みました。
そのような西洋列強が押し寄せた箱館は、軍備を増強する必要に駆られました。
そこで武田斐三郎(たけだあやさぶろう)が西洋技術・デザインも取り込んだ五稜郭を設計し、建築へと進みました。
正確には、フランス軍から贈られた築城書というマニュアルを読んで、この五星形の五稜郭を設計したそうです。
城塞であると同時に、政治機関としても活躍していました。
その後、戊辰戦争に敗れた新選組の「鬼の副長」こと土方歳三が、
1868年(明治元年)、敗走しながらも五稜郭に攻め入り、占拠します。
しばらくは榎本武揚が総裁となる蝦夷共和国が設立します。
当然ですが、新政府軍が放っておくわけがありません。
翌1869年(明治二年)には、箱館に侵攻。
土方歳三率いる蝦夷共和国軍も善戦したものの瓦解。
土方歳三自身は、流れ弾に当たって死んだとされています。
ある意味政敵であった土方歳三ですが、やはり生き様や数々の逸話などファンも多く、偉人的な扱いがされています。
五稜郭タワーの1階及び展望台には、彼の銅像が置かれています。
エレベーターの中にも、土方歳三の辞世の句が映し出されていました。
五稜郭タワー・展望台に上る
普通に見ても五稜郭のデザインは分からないので、五稜郭タワーの上に登ってみます。
入場料は900円かかりますが、仕方ありません。
そして、エレベーターでぴゅっと昇ると、五稜郭の全景をみることができます。
ステキな眺めでした。
お堀の水は凍り付いていますが、一部工事中で溶かしていました。
展望台にも、土方歳三が座っています。
こちらは函館の街並み。
雪国でもありますし、それほど高い建物はありませんね。
こちらは模型。
雪が無い方が、全体像が分かりやすいですね。
5角形の雪の結晶のような周囲に囲まれて、真ん中に各種建物が立ち並んでいます。
五稜郭内に侵入する
次は横から見てみます。五稜郭の敷地内に入るだけならば、無料で訪れることができます。
氷の厚さはどの程度か分かりませんが、けっこうしっかりしてそう。
昔はもっと建物があったそうですが、明治4年に開拓使によりほとんどの建物が解体。
大正時代には公園として開放されたそうです。石垣は残ってるんですけどね。
「箱館奉行所」は2010年に復元され、内覧することもできます。しませんが。
こういう橋、好きなんですよね。理由は分からない。
そして、ここも氷の世界。ガッチガチのツッルツルです。
ただ歩いて回るだけならば、20~30分もあれば余裕ですが、危険と隣り合わせの中では全てを回るのは困難でした。
雪が無いと、全く違う景色なんでしょうね。
桜の季節と、紅葉の季節の写真を知人から見せてもらいましたが、それはそれは素敵な景色でした。
違う季節に来た方が良かったかな…
というわけで、五稜郭のご紹介でした。
歴史に疎い私としては、こうしてブログに書くことも復習になりました。
土方ファンや、景色としても楽しめると思いますので、ぜひ行ってみてはいかがでしょうか。