『こんな夜更けにバナナかよ』 渡辺一史 著
筋ジストロフィーという、全身の筋肉が徐々に衰えていく難病にかかった鹿野靖明と、それを支えたボランティアに密着した「実話」です。
本人やボランティアの方々が7年間記録し続けた「介助ノート」や、実際のインタビューなどを踏まえて書き上げられています。
後にも触れますが、鹿野氏は「自立生活」を求め、自ら施設を出てボランティアを集め、時に衝突もしつつも信頼関係を築きながら障害に囚われずに人間として生きていました。
いわゆる障害者と健常者の交流の話と言えなくもないですが、それだけの作品(実話なので作品というのか?)ではありません。
障害者との付き合い方や、障害者のリアルが分かります。
実話なのでネタバレしてもいいかなと思って書いちゃってますが、気になる方はバックしてください。
また、これを書いている2018年12月28日より、映画版が公開されます。
主演は大泉洋さん。他は知らぬ。
そちらの情報は公式ホームページをご参照ください。
- あらすじ(?)
- きれいごとではない介助の現場ルポ
- タイトルとなった「バナナ事件」
- 生きよう、楽しんで生きようとする姿勢
- 障害者との付き合い方
- 障害者との公平なつき合いとは?
- 祖母の介護と死
- 本の完成を見ることなく亡くなった鹿野氏
あらすじ(?)
冒頭に本書の内容を少し書いちゃってますが、あらためて。
札幌に、鹿野という男がいた。
彼は生まれたころから体が丈夫ではなく、歩き始めも遅かったし、小学校に行っても運動が苦手だった。
6年生になったときに、初めて「筋ジストロフィー」であると診断を受ける。
当時は1972年。
鹿野は八雲の病院へと移り、そこで生徒・学生時代を過ごすことになる。
しかし、病院内は患者に対する生活管理が徹底しており、鹿野はそれがある種のトラウマとなってしまった。
病院での生活に耐えきれなくなった鹿野は「自立生活」を掲げて、病院から出て自宅での生活をスタートする。
しかし鹿野は寝返りも打てず、水も飲めず、痰を吸い取ってもらわなければならない。
1人きりになったら、1日たりとて生きていくことはできない。
それでも、彼を支える両親、友人、ボランティアによって、彼は7年間の「自立生活」を全うするのだった。
きれいごとではない介助の現場ルポ
障害者であっても24時間介助がついていれば、少なくともしばらくは生きていくことはできます。
しかし、24時間365日、ひとりになれる時間が一切ない生活というのは耐えられるでしょうか?
人間ですから、食事や睡眠はもちろん、排せつやいろんな欲求の問題もあります。
私だったら、それらすべてを人にゆだねるというのは、今現在では想像できません。
そして、そのような人の命を預かる仕事を、「ボランティア」でやることも私には無理でしょう。
技術的な難しさにくわえ、感情的に難しいですね。お金が貰えれば責任感とその重圧にも耐えられるかもしれませんが…
鹿野氏も、そこにはストレスを感じていて、人に八つ当たりをする場面も描写されています。
ストレスのはけ口となってしまった恋人のインタビューも載せられています。
そこには、今で言えばDVそのものと言えるほど虐げられる様子がありのまま描かれています。
往々にして障害者の方は、「いい人」に持ち上げられがちですが、ボランティアの方々も恐らく、鹿野氏を「いわゆるいい人」とは全く思っていなかったでしょう。
逆に正直に欲望をさらけ出さなければいけない彼だからこそ、惹かれる部分があったということなのでしょうか。
タイトルとなった「バナナ事件」
変わったタイトルである「こんな夜更けにバナナかよ」というのは、ボランティアの一人・国吉氏と鹿野氏のエピソードによるものです。
夜中の介護のため、簡易ベッドで眠っていた国吉氏。
そこをベルで起こされ、鹿野氏から「バナナが食べたい」と言われます。
内心、腹を立てた国吉氏ですが、仕方なく食べさせることにしました。
しかし、鹿野氏の食べる速度は遅く、バナナを持ってあげねばならないため、腕も疲れる。
やっと食べ終えたところで「もう一本」という鹿野氏。
国吉氏は逆に怒りが吹っ飛んで「この人のワガママは何でも聞いてやろう」と思うようになったそうです。
このように、ボランティアを通じて人生観が変わった人もいれば、「ボランティアとはそんなに大事ではなく、きれいごとでもない」という人もいます。
多種多様な人たちが、鹿野氏を中心に関わり合って生かし、生かされていくかのようでした。
生きよう、楽しんで生きようとする姿勢
暗い話題ばかりかと言うと、そういう本でもありません。
鹿野氏は時に不安定ですが、「生きたい」という強い意志を持っており、更に言えば「楽しく生きたい」という欲求を実現させようとしています。
酒も飲むし、煙草も吸うし、水商売の店にも行っていたというから驚きです。
また、結婚(そして離婚)もしており、セックスもしていたそうです(そんなことまで書いてあるとは思いませんでしたが)。
これらをみると、重度の障害者といえど、幸福を目指し、実現することも可能なんだろうという風に感じました。
また、障害=不幸という等式も見直さなければならないでしょう。
障害者との付き合い方
しかし、それでも障害者との付き合い方って難しいですよね。
恐らくですが、多くの障害者の方は、自分を不幸だと感じておられ、
また「自分が迷惑なのでは」というような負のアイデンティティを持っているのではないでしょうか。
「五体不満足」の方のように、割り切った考えを持っている方もいるかもしれませんが、どちらかというと少数派な気もします。
結局は、「障害者」というくくりで捉えるのではなく、「個」として見なければいけないということなのでしょう。
障害の程度も人に寄って違いますし、何が自尊心を傷つけ、どこまで人に求めるのかは、健常者と呼ばれる人であっても一様ではありません。
本書の中ではこんな一節がありました。
障害が鹿野のキャラクターの一部であり、魅力であることは誰もが認めることだ。
障害者だろうが何だろうが、見たまんま、つき合っていけばいいんであって、なるべく深読みしないし、同情もしないし、持ち上げもしない。そういう態度をオレは貫こうとしていた。
(ボランティアの一員だった斉藤氏の発言)
上記の発言をした斉藤氏は、「ボランティアが高尚なものや大変なものではなく、普通であるべき」という趣旨の発言もしていました。
当たり前に人の手伝いをする感覚で、生命にかかわるボランティアもするという、良い意味での敷居の低さ、ゆるさが必要なのでしょうかね。
障害者との公平なつき合いとは?
聖人扱いもせず、哀れみもせず、極力公平平等にすることが大事なのでしょう。
言うは易し、行うは難しですけどね。
実際に、ボランティアの立場で、真夜中の眠気の中で起こされて「いいからバナナを食わせろ!もう一本!」と言われたら、 イラっとしない自信はありません。
しかし、そこで「相手は障害者だからイラっとしてはいけない」というのが間違いなのではないでしょうか。
「こんな夜更けにバナナかよ!」と一言文句を言ってやるのが、公平な付き合い方のような気がします。
祖母の介護と死
私の祖母は、全身ガン&認知症であり、要介護4という障害者といえる状況でした。
意識もはっきりせず、病院で何年も入院していました。
私も月に1回くらいは訪れ、車いすで外に連れ出すなどしていましたが、本人が喜んでいたのかどうかは意思疎通ができず、全く分かりませんでした。
父(祖母の息子)は、それでもよく話しかけていましたが、祖母からはほとんど反応がありません。
その当時は、正直なところ「こんな状態で生きていると言えるのか?」と思ってしまっていました。
いよいよ死を迎えるときには、病院で全員が揃っているときに死亡確認が行われました。
覚悟はしていたので悲しみはありませんでしたが、目の前で人が死んだのは初めてでしたので、感じることがありました。
祖母本人の気持ちは分からないままでしたが、特に父にとっては生きていること、そして死んだことで得たものはあったでしょう。
本の完成を見ることなく亡くなった鹿野氏
2002年8月12日に、鹿野氏は逝去しています。
本書の完成・出版は2003年だそうですから、本人は出版を見届けることなく生涯を終えています。それが少し残念な気持ち。
年末は祖母の命日でもあるので、お墓参りにでも行こうかな。
ちなみに書籍ですが、文庫版は二種類あります。
ひとつは、映画の元となった原作といえるもの。
私が読んだのもこっちです。
そしてもうひとつは、映画のノベライズ版です。
こちらの方がページ数が少なく、お値段も安いです。
鹿野役の大泉洋が表紙になっているのが目印ですかね。
【夏休みの宿題用にどうぞ】