越後湯沢に早く着き過ぎたので、そのまま越後湯沢駅を見送って、塩沢駅をふらついてきました。
恥ずかしながら、塩沢という地名を全く知らず、たまたま近くにあって観光地っぽかったので訪れたのがきっかけです。
ふらりと降り立った駅
こちらで旅のルートについてはご参照ください。
冒頭に書いたように、越後湯沢駅に10時過ぎに着いてしまうことに。
しかし、ウインタースポーツなんてやる気もない私には、越後湯沢でやることがほとんどない。
そこで、別のところにも寄ってみようと思って近くの観光地を調べていた所、数駅先に塩沢なる場所があることが分かったので寄ってみることにしました。
駅前は特に特徴がありません。ただの田舎町といった感じですね。
塩沢は宿場町
ここ塩沢は、戦国~江戸時代の街道である「三国街道(みくにかいどう)」の要所の「塩沢宿」があった場所。
かの上杉謙信が関東に攻め入るときにも通ったそうです。
江戸時代になると、参勤交代のための経路として、新潟と関東(高崎経由)を結ぶ交通の要衝だったそうな。
現在の群馬県の高崎から数えて、35か所ある宿場のうち、塩沢宿は22番目だそうです。
あまり、宿場町って来たことなかったんですよね。気づいていないだけかもしれませんが。
※ガイドマップの真ん前に車が止まっていたので、正面から撮れませんでした。
牧之通り(ぼくしどおり)の街並み
「まきの」かと思いきや、「ぼくし」と読むそうです。
だいたい、駅から10分弱歩くと到着します。
街並みをきちんと残しており、このような長屋づくり(?)が続いています。
ラーメン屋も(看板はさておき)店舗としては、雰囲気を壊さないようになっています。
こちらはおもちゃ屋さん。外から中をのぞくと、昔ながらの「町のおもちゃ屋さん」といった雰囲気でした。
まあ私が子どもの頃には、既にトイザらスなどの大型化が進んでいましたが…
続いて、こちらは本屋さん。
店内の正面には週刊誌が並んでいる、普通の書店ですが、外観はこの通り。
そしてこちらは塩澤信用組合。ここが本店だそうです。
信用組合の中もこんな感じで、オープンな場所でした。
銀行にいましたが、たぶん信用組合って初めて入りました。
信用組合の窓口もこの通り。割と徹底されていますね。
地域密着型の金融機関として、関東財務局から表彰もされておりました。
街づくりに一生懸命な場所
上に写真を挙げたように、ザ・観光地というよりも、地元の方が利用するような店が多かったように思います。
つまり、街並みは観光の側面だけではなく、きちんと地元が歴史・文化として残していこうという意思が感じられるまちでした。
ちょうどひな祭りのシーズンで、一般家庭(?)の雛飾りもオープンにされていました。
別にお金を取るわけでもないですし、商売っ気というよりもおもてなしといった感じでした。
このように、しおざわ牧之通り組合という団体が「まちなみ景観協定」制度により、「合格之証」を発行しているようです。
これもまた、街並み保全のための努力と言えるでしょう。
有体に言えば、古き良き伝統を残すということですが、経済合理性を考えると、それを実践していくのはなかなか大変なことです。
観光だけではなく、生活の側面からも維持しているという点で、この塩沢は頑張っているなあという感じがしました。
「牧之通り」の由来となった「鈴木牧之」の正体は分かりませんでしたが、記念館に行けば分かったのかもしれませんね。
塩沢や鈴木牧之について知りたい方は、下記の南魚沼市のHPをご参照ください。
www.city.minamiuonuma.niigata.jp
いいじゃない、塩沢。
ただ、駅前の飲食店が大阪名物お好み焼き、しかも持ち帰り専門店くらいしかありませんでした。
(カフェも見かけましたが、定休日でした)
牧之通りにも、4~5軒くらいしか飲食店はなかったような?
電車と電車の間で、ちょうど1時間くらい潰すのに良かったです。
また行く・・・ことはあるかなあ?