何が嫌いかより、何が好きかで語れ!みたいな漫画のセリフがありますが、私は嫌いなものを語る方が饒舌です。
人生において、「◯◯したい」という夢よりも、「◯◯しないで生きていたい」という夢の方が多いですしね。
そんな訳で、街やネット上で見かける、ちょっと嫌なことや違和感のあること。
若者も会社員も、イヤホンし過ぎ問題
電車でも駅でもお店でもいいんですが、最近はイヤホンしてる人が多いですね。
別にそれ自体はいいんですが、そのせいか周り見えてない人が多いなあと。
だいたい、歩きスマホとセットになっており、視覚と聴覚と片手が制限された状態なので、周り見えてないんじゃないですかね。
イヤホンと歩きスマホのどっちかだけなら私の中ではまだ許容範囲ですが(公道や駅のホームは駄目としても)、合わせ技はちょっとね。
それにしても、ひと昔前よりも音漏れしている人が増えたように感じます。
昔よりイヤホンの性能も上がってるような気がするのですが…
このままいくと、数十年後には今より難聴の人が増えるんじゃないかと懸念してます。
若者の話し声は、昔に比べて大きくなったような気がしなくもない。
あるいは、世の中全体のボリュームが上がるのかな。
その頃には、私は静かな土の下かと思いますが。
「なんなら」の使い方⇒若者言葉全般
「なんなら」という言葉ですが、最近見かける使い方に違和感があります。
Twitterで「なんなら」を調べるとごろごろ出てきますが、だいたい私の中では間違った使い方です。
辞書等を要約すると、「なんなら」=「望むのならば」が本来の意味です。ですよね?
(昨今のプリクラや、アプリ「SNOW」等の加工された顔が気持ち悪い件は、長くなりそうなので今回は語りません)
消し方が雑で大変申し訳ありません。
こうした例をみるに、「なんなら」を「さらに言うなら」「加えて」という意味合いで使ってるようですね。
ずっと眺めていると、元々の言葉の意味が分からなくなってきます。
他の言葉の使い方が違って恥ずかしい、という内容でも、なんならの使い方は間違っているという状況。
こういう風に、気がついた方もいらっしゃるようですが、だいたい間違った使い方してますね。
まあ言葉は変遷・変容するものですから、そっちが主流になるなら、それは別にいいんですけどね。
こういう使い方をするような人と話すことはたぶんないでしょうし。
最近の言葉で言えば、わかりみ、つらみ、などの「○○み」や「エモい」もあまり好きじゃないですね。なんなら嫌いだし気持ち悪いなあと思います(こう使うのか?)。
そもそも若者が使う言葉全般があまり好きではないのかもしれません。
ただこれは私が年取ったからではなく、自分が若いころも嫌でした。
私の学生時代は、「ウザイ」が流行り出したころでしたが、自主的には今まで一度も使ったことないですしね。
怒る意味での「ムカつく」も使ったことないですね(胃がムカつくは使います)。文章で言えば「ww」も使いません。
何のことか分からないツイート
上がTwitterから拾ってきたネタだったので、今度もTwitterについて。
元々、Tweetひとつひとつは、140文字という長いようで短い程度の文章量しかありません。
自分の中で、Twitterの最低限のルールとして、「1ツイートで意味が通ること」を意識しています。
文章または画像を発信するので、ある意味当たり前ではありますが、もう少し具体的に言えば、1ツイートで意味が完結するようにしています(返信、リツイートは除く)。
適切な例が見つかりませんでした。
が、たまにあるのが、
「何なんだよ…まったく…」とか、「いい加減にしてほしいわー」のような、読んでいる人には内容が全く分からない上に、不快感・不満だけ伝わってくるようなツイート。
そういうTweetが続けば、だいたいフォローから外すようにしています。
昔はミュートしてましたが、今はどんどん外していますね。
ミュートしっぱなしになっているのは、いつか外さねば。
人のふり見て…
これらが、私以外の人にとって嫌なものなのかどうか分かりません。
とはいえ、自分が嫌なことを人にしちゃいけませんと教わったことがあります。
自戒せねばならぬことも多々あると思いますが、自分の事というのは自分では気が付きにくいもの。
さあ、みんなもGOさんの嫌なところを挙げてみよう!
それを受けて、私の心が大丈夫かは分かりませんけどね。