「煩悩フリーの働き方。」 小池龍之介 著
働き方と書いてありますが、いわゆるビジネス書とは少し違います。
一言で言えば、精神的安定ということですかね。
小池龍之介という坊さん
小池龍之介というと、某掲示板などによく貼られる画像で知りました。
若手の僧侶・坊さんのイメージでしたが、Wikipediaでみると、東大を出たり破門されたりと結構波のある人生を送っておられるようですね。
まあ世の中、いろいろなお坊さんがいますよね。
私の田舎の坊さんは、寺でジャズライブやって破門となって以来連絡が途絶えましたが、意外と肉も食べるし酒も飲む人が多いです。
ただ、高野山の修行の話を聞いた際、1週間暗闇の中を歩き回ってお経を唱え続ける(うろ覚え)みたいなのはなかなか厳しいですよね。
長持ちするか分かりませんが、そこまでやったら私の精神も変わるでしょう。
3つの煩悩。欲・怒り・迷い
さて、本書の内容に触れていきます。
ここで言う煩悩は大きく3つに分かれ、欲望と怒りと迷いです。
欲望は分かりやすいですね。
怒りは「受け入れられない」というエネルギーのこと。
迷いは「興味が持てず無視してしまう」こと。
理不尽な上司命令は受け入れたくない=怒りが湧きます。
こうした煩悩が生まれるにもエネルギーが消費されるので、これらの積み重ねで疲れやストレスが溜まってしまい、働くことも人生もイマイチになってしまうのです。
他人は自分を映す鏡である
本書ではここまで言い切ってはいませんが、序盤で述べているのはこういうことだと感じました。
つまり、自分自身が上に書いた煩悩のような「負の感情」を持っていると、相手にもそれが無意識を含めて伝わってしまい、結果として自らにも返ってくるということです。
これは確かにあるかもしれませんね。
分かりやすい例で言えば、たまたまイライラしていたからといって冷たく当たってしまうと、信頼を失ってしまうこともありますし。
そこまで行かなくても、他人に対して理不尽に辛く当たってしまったら、後悔と自責の念に駆られることもあるでしょう。
いずれにしても、負の煩悩エネルギーを他人にぶつけても、あまり良い事はありません。倒したいなら別でしょうが。
そのためには、心を律すると同時に「今何をしているか?」に集中することが重要と本書は提示しています。
今に集中すること
さて、よりよい心持ちになるために本書で推薦されているのが「今」に集中すること。
まあ昨今はマインドフルネス等も流行っておりますので、ご存知の方も多いでしょう。
「今」に集中することで、心の中と体の感覚が一致し、そこで多幸感や安心を得られる、というのが本書の内容です。
ここからは私の解釈です。
例えば、仕事がつまらないのは言い換えると「これに何の意味があるんだ?」とか「こんなことをやりたいわけではないのに」という思考でしょう。
そうした思考を一度破棄して、「今はシュレッダーをかけている。音がガーっとなっている。振動を全身で感じる。この部屋は電気が薄暗い。周りには誰もいない。」と今現在を強く意識することが重要です。
そうすると、たとえ追い出し部屋のシュレッダー係だったとしても、「今」の連続で思考をしていけば、何とか乗り切れるということではないでしょうか?
書いていて思いましたが、私の解釈は少しずれているかもしれませんね。
瞑想
今に集中する訓練として、やはり挙げられているのが「瞑想」です。
瞑想=マインドフルネスと、最近の書物には書かれていますが、ここでは坊さんスタイルなので、瞑想とは呼ばず「坐禅」と書かれています。
違いは分かりませんが、仏教上の坐禅は宇宙との一体感がどうとか悟りを得るのがどうとか、というイメージがあります。
まあその辺の細かい違いはさておき、坐禅の実践をしてみると、これはこれでなかなかいいものです。
あくまで私の場合は真似事なのかもしれませんが、「なんとなく良さそう」という感覚が出てきました。
いろんな思考が出てきてしまいますが、それらを何とか打ち払いたい。
本書では雑念が湧いた場合「雑念、雑念、雑念…」と頭の中で逆に唱えてしまった方がいいと書かれていました。なるほどねえ。
その練習として、寝る前または起きた後にでも続けてみようかなと思います。どうせ不眠症ですしね。
坊さん口調
本書は口頭で話したものを(当然校正しているでしょうが)文書化したらしく、かなり坊さん口調です。
具体的には、「~~などと申しますのは」「~~しますため、」「~~だったといたしましても」といった感じの文体です。
慣れれば何てことないですが、これがなくなると文章量が2~3%くらい減らせるんじゃないかしらと思いました。
「悟る」とは?
仏教では「悟り」を開いて仏となり、輪廻転生から解脱して極楽浄土に行くのが目的(と私は認識しています)です。
そこまでの高等な思想については全く分かりませんが、坐禅で心が落ち着いてストレスが取れるのならば、それだけで十分でしょう。
悟りの境地というのはどういうものなんでしょうね?
「あ、悟った!今悟ったわ!」と分かるものなのでしょうか。
まあ何かを悟ったフリほど恥ずかしいものは少ないですから、謙虚に生きます。
もしくは卑屈に生きます。