学歴社会については、何かと話題が提起されることがあります。
どちらかというと、批判的な文脈が多いと思います。
「仕事の能力・生産性」と「学歴」そのものの相関関係は、よほど専門的な教育でもない限り、それほど高くはないでしょう。
それでも学歴がなぜ重視されるかといえば、一つは感覚的な統計の話。
正式な統計があるわけではなく、あくまで個人的な感覚に基づく意見ですが、偏差値が高い学校の方が、たいてい生徒は真面目ですよね。
知人の高校教師は偏差値40未満の高校に赴任された際、生徒がらみでほぼ毎週警察に相談に行くので、警察と大変仲良くなったと言っていました。
もちろんそんな学校でも真面目な生徒はいるのでしょうが、高偏差値校と比べてどちらが割合が高いでしょうか。
つまり高学歴の方が、問題を起こさない人材を取れる可能性は高く、特に組織においてはそれが重要視されます。
人を見た目で判断するのは当たり前の事であって、内面なんて相当深く付き合ったところで分かるか分からないか程度の未知のものです。
限られた情報の中で判断されるわけですから、学歴というのはひとつの重要な情報にならざるを得ないわけです。
学歴なら、相手を深く知らない・知ることの出来ない情報においてはひとつのヒントになりますからね。
なので、就職活動等、学歴のせいで選ばれないのであれば、学歴以外に社会的に認知された能力の尺度を見せつけるしかありません。
例えば公的資格などは最たるものですし、それ以外にも「作品」や「実績」などもいいかもしれません(分野に依ります)。
一方で、学歴以外の部分で、客観的に同じ尺度で比較検討できる要素って少ないですよね。
AさんとBさんが面接を受けに来たとして、学歴以外がある程度同じような人物像であれば、私なら高学歴を採用するでしょう。
(就活で個性が出ることなんてあまりないでしょうし)
もちろん、通学できなかった事情などは加味されるべきかと思いますが、学歴がある方が何かと有利になるのは、仕方ないことだと言わざるを得ません。
面接官が万能ならば学歴に囚われず、企業として必要な人材かどうかを見抜けるのかもしれませんが、そんな有能な面接官はそうそういないでしょう。
企業側からそのフィルターを外すには、具体的には中長期のインターンシップなどで適正を見極めるなど、時間的にもコストをかけないといけません。
ならば、確率的に「真面目で優秀だろう」と推測できる学歴に頼るのは仕方ないことだと思います。
かといって学歴が万能なわけではありません。
私にも、東大医学部を出ておきながら数年ニートをやっていた親戚もいますし。
ただし彼は「月10時間勤務で月給50万円」という仕事を見つけていたので、東大医学部恐るべしといったところですが…それは学歴というか医師がすごいって話ですかね。
また、入社後も学歴に引っ張られるのはどうかと思いますね。
大卒の新卒の初任給が、高卒の初任給よりも高いのは別にいいかなと思いますが、後々までその体系を引き摺っている場合などは、問題でしょう。
私のところの専務は、弊社初の高卒にして役員になりましたが、きちんと実績を挙げた結果と言えます。
入り口の段階での学歴フィルターはこの先もある程度は無くならないでしょう。
ただ、その後はもっとフラットに人を評価すべきですし、そうできない会社に未来はないでしょうね。
余談。
今回は「見出し」無しで記事を書いてみましたが、どちらがいいのでしょうか?
たまに改行すら無しで書いている記事をみますが、流石にそれは見る気もなくなるので一行ごと改行しています。