今週のお題「二十歳」
久々に今週のお題について。
20歳、だいぶ昔の話になりましたなあ。
成人の日の街中
2020年は13日が成人の日でした。
街に振袖を着飾った新成人やイキった新成人が溢れており、はしゃいでおりました。
私のようなおっさんからすると、店も混むし集団に道は塞がれるしで迷惑だなというのが大半の感想ですが、若者が主役だから仕方ありません。
ちなみに「聖人」で調べると「諸聖人の日」というのが11月1日にあるそうです。
大阪のひらかたパークは成人の日に「星人の日」としてバルタン星人などが集まるイベントがあるそうです。
自分の成人の日の思い出
かれこれ15年ほど前になりますが…
の前に、更にさかのぼること5年前、つまり私が中学生の頃。
当時はまだ友達もいたので、だいたい4~5人のグループでつるんでいました。
高校生になり、全員学校はバラバラでも、よく集まっていました。
大学生になり、うち一人(仮にAAAとします)が「ほぼ犯罪紛い」のことに手を出し始めたことが分かり、全員で距離を置こうとなりました。
しかしそのAAAは、自身の行為が法に触れそうということに気が付いておらず、遠回しの指摘も意に介さず。
一方で、距離を置き始めた私たちに、強硬に関係の修復を迫ってきました。
そして成人の日、そのAAAとは別行動をしていた我々の前にAAAが現れました。
「なぜおまえらは俺を避けるんだ!」的な大声をあげ始めるAAA。
そのときは、今にも殴り掛からんばかりの剣幕でした。
これはあれだ、沖縄の成人式とかでニュースになるパターン。
新成人が成人式ではしゃいじゃうパターンになるの危険性がある。
そう判断した我々チームは、即時撤退を試みました。
比較的、チームの中でAAAと関係の弱い私が囮になっている間に他のメンバーが逃げ、なんとか無事に脱出しました。
その後、散り散りになった我々はファミレスに集結し、暗い成人式を迎えることとなりました。
しかも、その時のファミレスの接客が超・悪かったことも覚えています。
つまり、成人式には行ったけど、ほぼ参加していません。
そのせいか、未だに同窓会の連絡もありませんし、そもそも開かれたのかどうかも分かりません。
ああいうのってクラスや学年の会長・副会長が言い出すパターンが多いですが、それを務めていたのが私ですので、言い出すはずもありません。
私の世代だと中学生で携帯電話を持っている人はまだ少なかったので、成人式の機会を逃すと、なかなか連絡を取る手段がないんですよね。
まあ中学の頃って受験で入ってきた高校と違っていろんな意味で混合しているので、今更会いたいと思う人もほぼいませんが。
大人になるのはどんな時?
そんな成人式でしたので、大人になったなあと実感することもなく、むしろ学生時代の嫌な人間関係を清算しなかったという負の遺産になっています。
では大人になったと感じるのはどんな時でしょうか?
20歳で解禁されたこととして、選挙に行っても、酒を飲んでも、別に大人になったなあと感じることはありませんでした。
経験的なもので言えば、女性との初体験とか初めての自腹のひとり旅も、あまり覚えていないし…
強いて言えば、就職して仕事が始まったときには、大人というか一社会人になったんだなあという実感が少しあったように思います。
大人の定義って何でしょうね。
法的には20歳、そのうち18歳になるかもしれませんが。
よく言われるのは、「自分の行動に責任が取れるようになったら」でしょうか。
「自分の行動に責任が取れるか?」と聞かれたら「だいたい無理」と答えざるを得ません。
自分の身は自分でというのはある程度できていますが、例えば他人に対する致命的なミス、例えば事故などの責任が取れるかというと自信はありませんね。
そういう意味ではほとんどの人が無理なのかもしれませんが…
違う視点での大人の定義として「自分で自分の食い扶持を稼げるようになったら」というのもあります。
これはおかげさまで、何とかできているように思います。
22歳の就職当時では正直中々厳しかったですし、当時は実家暮らしでした。
しかし今ではローンまみれではあっても一応持ち家で、その他借金もなく暮らしています。
ただ金銭的には十分なんですが、家事・料理が十分かと言われると微妙ですし、時間の使い方もそれほど上手くありません。
最近思う、大人の視点
で、最近大人になったように感じることとしては「相手のために苦言を呈する」ことでしょうか。
部下もいて、後輩もいてという環境になりましたので、中間管理職的には指導する立場なわけです。
正直どーでもいい会社のルールだなあと思っても、それを破っていたら部下に対して指導をしなければなりません。
会社の為というよりも、「その部下がつまらないルール違反で周りから評価下げられても仕方ないし、他の本気でキレる人から怒られるより『私(GO)が指導しておきました』と言えば穏便に済むだろう」という視点です。
また私生活では子どもはいませんが、姪っ子たちが悪いことをしたら叱らねばなりません。
うちの兄弟は子供を割と甘やかしていることがあるため、こっちの方が大きいですかね。
叔父さんとして嫌われても仕方ないということで、ある程度強めに叱ることもあります。
兄弟に子どもができた当初は、「人の家の子どもにはその親の考えがあるから、ほっとこう」と考えてたのですが、「理不尽なことをしたら周りから怒られるんだ」という経験も子どもには必要じゃろうと改めました。
親である兄弟にとっても、違う家の人が怒ることを多少は期待している節もありますし。
まあこれらは「怒る」というより「叱る」ですね。
これから目指す大人像
まず大人として、感情的に怒らないようになりたいですね。
15年ほど前、20歳前後の頃は何に対しても怒ることもありませんでした。
10年前に一時期身体を壊して不眠症にかかって以来、ストレス耐性が下がってしまいイラつきやすくなりましたが、昔の精神状態を取り戻したいものです。
もうちょっとチャラい、ふわっとした目標で言えば、「大人の趣味」を持ちたいなあと思います。
もしくは、何らかの「こだわり」と言ってもいいかもしれません。
多くの人が、野球でも釣りでも音楽でも珈琲でも、何らかの趣味やこだわりを持っていることがほとんどです。
その点、私は飽きっぽいせいで何のこだわりも持っていないので(こだわらないことをモットーにしていますが)、何かこだわってみるor凝ってみるのがいいなあと思います。
唯一趣味と呼べそうなひとり旅を極めて、海外もどんどん行くとか。
それは資金的にも日程的にもきついけど。
ただ30歳になったときに「人生は一度きりだ、良くも悪くも。だから頑張らなくてもいい」という決意もしたので、それにはある程度従っていこうと思っています。
それを後悔するのは40歳になったころかなあ。
というわけで、取り留めもなく「大人」について考えてみました。
それにしても、JRの「大人の休日倶楽部」は優遇しすぎだと思うの。
早く使わせてけろ。