誹謗中傷はいけません。
これは正論ですし、当たり前の話。
ただ世の中善人だけじゃないですからね。
以前、このテーマで書きかけていてお蔵入りになっていたのですが再び話題になったので、改めて考えてみました。
私はテラスハウスとバチェラーが同じものと思っていた程度の認識ですので、その件については今回の文章には特に反映していません。
一定の自衛が必要
冒頭に書いたように、「誹謗中傷はいけない」というのは紛れもない正論です。
しかし、「誹謗中傷はいけません」と言われて「はい、分かりました!」なんて人がどれほどいるでしょうか?
ましてや、元々誹謗中傷をする人の中に、そんな意見を聞き入れる人がどの程度いるでしょう?
言えば分かる人ばかりなら、玄関や自転車に鍵をかける必要はないですし、ウイルス対策ソフトは売れなくなります。
性善説・性悪説なんて二元論で人間は語れませんが、どこにでも「悪い人」は必ずいるものですし、いると想定すべきです。
コロナ感染を避けるために人混みに出ないのと似たようなもので、何かしら楽しさや得るものがあっても、人が大勢いるところにはほぼ確実にリスクがあります。
今回の話で言えば、その人が自覚しているかは別として「悪意をもって誹謗中傷をしてくる人」は必ずいます。
SNSでも「誹謗中傷に耐えられないならSNSを止めろという人がいる。しかしなぜ、被害者側が気を使わねばならないのか!」という主旨の発言をよく見かけます。
これまた気持ちはよく分かる発言で憤る方も多いですが、それに対しても「仕方ない」としかいえないでしょうね。
絶対に悪意は存在するので、ネット上のコミュニケーションツールであっても、最低限の自衛は必須です。
もちろん「誹謗中傷はいけません」と唱えることは、考えが改まる人も一定数はいるでしょうし、子ども達など教育的な意味からも、その事は決して無駄ではありません。
繰り返しですが、言いたいことは、不特定多数の中には悪意を持った人が一定数必ずいて、その人達には正論は無駄、一定の自衛が必要ということです。
難しいですが法律で規制・重罪となれば、もっと変わるかもしれませんけどね。
「誹謗中傷」と「批判」と「反論」
この辺を、実際の言い回しや使い方で明確に分けるのは難しいですが、私なりに定義すると。
「誹謗中傷」は、(自認しているか別として)悪意を持っていて、相手を罵倒することか自身のヘイトの吐きだしが目的です。
「批判」は、一応良いところ・悪いところを冷静に評価・判断した結果、ある程度論理的に「駄目」というのが目的です。
「反論」は、意見に対するものであって、自分はそう思わない・事実が異なる場合などにそれを正す・理解を得るのが目的です。
反論はしてもいいですし、批判もモノによっては何の問題も無いでしょう。
ただ誹謗中傷は単なる悪意をぶつけるだけ、受け手に得はないですし、発信者も一時的なストレス発散程度にしかなりません。
そしてこれらも全部、言い方次第ですよね。
「反論」にしても、「それは違うと思います。なぜならこういうデータがあって~」というのと、「ちげーだろ。このデータ見たのか?ろくに調べもしねーでごちゃごちゃ言いやがって。間違ってんじゃねーか!」というのでは、本質的に言っていることは同じでも、印象が全く異なります。
「言葉は慎重に」「相手の気持ちを推し量って」というのは簡単ですが、実際には自分も感情に飲まれることもあれば、つい口が滑ることもありますし、そこまで言わないと分からない相手もいます。
だからこそ難しいですし、一人一人が考える必要は大いにあります。
私の話
さて、自分を省みなくては。
「誹謗中傷」は一応しないつもり…ではありますが、完璧かと言われると分かりません。
口は悪い方ですし。
ただそれでも、「死ね」は流石に言いませんし、何とかエモンみたいに「バカ」「頭おかしい」も他人に対して誹謗中傷目的ではほぼ使いません。
私が「死ねばいいのに」と言うのは、友人O君に対してだけです。
「批判」はしょっちゅうしてますね、このブログでも。
「人格批判はするな」というのは分かっているつもりですが、相手の根本的な考え方からダメだと思って批判すると、もはや意見に対する批判ではなく人格批判になってしまうかもしれません。
先日の常務に対するものは、当初は反論のつもりでしたが、今考えると批判(人格批判に近い)だったかも?
感情的批判は避けたいですが、創作(小説やゲーム)に対する批判は、やはり感情による判断多くなってしまいます。
「反論」は、実生活では結構していますね。
逆にネットだといちいち反論しないで、「まあどうせ知らん人だし」で最終的に落ち着きます。
会社で上司に「反論」すると、必ず「反抗」と受け取られるんですよね。
下だと思い込んでいる人から意に反することを言われるのに慣れていない、体育会系脳の人だから仕方ないと思いますけど。
これは偏見になるのか?
私の話(防御側)
今まではオフェンス側の意識でしたが、ディフェンスについて。
する側ではなくて、受ける側の視点です。
私はメンタル的に強くはないので、完璧な「誹謗中傷」はちと痛いですが、論拠がなければほぼあまり気になりません。
例えば、単に「死ね」と言われても「はぁ…そうなんですか」としか思えないですし。
ただ自分が言われたという事実よりも、「いきなり『死ね』と言いだすやつが周りにいる」という事実に少しショックを受けるでしょう。
「批判」は、法的にまたは著しくモラルを欠いた場合は当然受け入れるしかないです。
が、たぶんそんな事は発信しないでしょうし、そこまで大きな隙を見せないようにしています(モラルの方は個々人で違うため、確信できませんが)。
まがりなりにもLINEスタンプなど有償でお買い求めいただくものを公開しているため、それに対する批判はあるかもしれません。
こっちも商品内容は事前にわかるので、「思ったのと違う!」などは的を射た批判でも何でもないですが。
「反論」や「指摘」(あくまで私の人格ではなく意見等に対するもの)はもちろんあるかと思いますし、それが前向きな議論や改善になるのなら、ぜひいただければと思います。
ただ、私もそこまでできた人間ではないので、そこに噛みついてしまう可能性もゼロではありません。
自分でも冷静に、「この人は反論しているのか、批判しているのか、誹謗中傷したいだけなのか、頭を使っていないのか」を見極めて対処したいと思います。
匿名・SNSで誹謗中傷は加速するのか
自問自答ですが、これは間違いなくするでしょうね。
「シャイな言い訳 仮面で隠して 踊ろう踊ろう」的な、仮面舞踏会だって表情が分からないことで少し大胆になるものです。
(少年隊世代ではないので、あまり知りませんけど)
素性が知れない方が、どうしたって感情的になるでしょう。
それは良い意味でも、悪い意味でも。
「SNSを実名で」という議論もありますが、匿名性が受けている部分もあるわけで、
匿名だから書けることもありますし、発信できることがあり、それで面白いこともあります。
実名にしたとたん、今度は悪意ある知人から何をされるか分かったもんじゃありませんしね。
私がTwitterで書いているような駄文は、実名にしたら発信できなくなるでしょう。
と思ったけど、実名のFacebookの方でも同じようなことを書いてました。
SNSに限って言えば、思い詰めるほど悩むなら止めりゃいいと思います。
仕事のストレスで自殺される方もいますが、仕事やSNSと命とを天秤にかければ自明かと思います。
SNSの方はデジタルタトゥー(データが消えない)問題もあるので、一概に解決するとは言えませんが、匿名でやってた人ならば逃げれば勝ちです。
まとまらなくなってきたので、簡単にまとめ
みんななかよくしましょう。
わるくちはやめましょう。
つらいときはにげましょう。
じぶんをまもれるのは、さいごはじぶんだけだ。