ここ最近は動画学習(MOOC)をポチポチと始めていまして、ひとつは「gacco」という無料動画サイトを使っています。
その中で「memento mori〜死を想え〜」という講座が開かれました。
gaccoは講座が開設される期間が決まっているので、いつもタイミングが合わなかったんですよね。
センセーショナルなタイトルに興味を持ったので受けてみることにしました。
が、今回は先に受ける前に「死」について思うこと。
あまり身近で人が死んでいない
我が家は短命な家系なのかか、通常4人1セットな祖父母について、父方の祖母しか存命ではありませんでした。
それほど親戚が多いわけでもないので、身内の死者というのは、その祖母が10年ほど前に死んだくらい。
葬式にちゃんと出たのもその1件のみです。
ですので、さほど死が身近ではないなあと思っています。
子どもの頃の死への恐怖
子どもの頃は、死が怖かった覚えがあります。
小学校低学年の頃だったと思いますが、「ノストラダムスの大予言」も怖かったですね。
知り合いの3~4歳年上の子が面白がって話していたのですが、当時の私はもう聞きたくない気持ちだったのを覚えています。
子どもの頃の記憶がほとんどない私が覚えているくらいなので、よほど怖かったのでしょう。
たぶん同じころですが、ちょうどドラえもんの「タイム風呂敷」の話を知って、「これを使えば永遠に死なないのでは?」と期待したのも覚えています。
そのためにはタイム風呂敷がある22世紀まで生きなければいけないので、120歳くらいまで生きられれば…なんてことを考えていたような。
人生100年時代を先取りしていたようです。
大人になってからの死
10年ほど前、身体を壊したうえに会社から酷い扱いを受けた頃は、けっこう精神的にアレな状況でした。
その時はかなり死について考えていて、「きっかけがあれば死にたいなあ」くらいの感じでした。
厳密に法に則った書式ではありませんが、何かあった時用に遺言もその頃書いてますしね。
一応、今もそれは変わらないんですが、死への恐怖そのものは全くありません。
逆に、死に至るまでの過程には、未だに恐怖があります。
例えば病気でじわじわと弱って苦しんで死ぬのは御免ですし、痛いのも嫌です。
また、深刻な悩みを抱えながら生きていくのも嫌ですね、膨大な借金とか。
死への身軽さ
死そのものは、漠然とした不安は多少はあるものの、それほど恐れるものがありません。
ひとえに、それは家庭がないからでしょう。
重たいものはなるべく避けてきましたので、「自分に何かがあった時に困る人」の存在も極力避けたいと思っています。
なので、これを書きあげた瞬間(これを誰かが読んでいるということは予約投稿時までは生きているはず)に死んでいたとしても、それで困る人は特にいません。
強いて言えば、マンション住民が訳アリ物件になるという点で困るかもしれませんが…
この気楽さというのは、生きる上で大きいと思っています。
何かあったら死ねばいいというのは、最終的な退避手段・護身術としてアリだと思います。
それが、「死ぬ気になれば何でもできる」という前向きに働けば、更に良い精神状態なんでしょうけどね。
あまりまとまってませんが、私の今の死生観については、こんな感じです。
最後の目的地であり、退避場所であり、受け入れるべきものであり。
メメントモリを見て何か変わるかもしれませんし、何も変わらないかもしれません。
ただ私もあなたもそのうち死にますので、時々は死について考えてみるのも楽しいかなと思います。
gaccoについて
ずいぶん昔に登録だけしていたのですが、最近になって再び利用し始めました。
主に大学の先生がテーマ別に様々な授業を公開しています。
字幕も完全対応していて、コンテンツ量もそこそこあるので意外と楽しいです。
何よりも、完全無料で観られるというのはありがたいですね。
興味のあるジャンルの講座が開講されているかはタイミング次第ですが、終わった講座も再放送されることもありますので、一度観てみてはどうでしょうか。
【再掲】