画像はありませんが、文面上、多少グロテスクな表現が含まれますのでご注意ください。
また、死者への敬意云々というのは別ベクトルの話ですので、ご了承ください。
事故死の解剖写真を見る
検察審査会をやっていたときに、交通死亡事故に関する事件を取り扱う機会がありました。
裁判員が事件の被害画像(端的に言えば、臓物が出ちゃってるもの)をみてトラウマになったなんてのは報道等でもよく聞きますが、裁判員とは違うので、必ずしもそれらの画像を見ることはありません。
事故の状況、例えば事故現場やぶつかった車の写真などは、もちろん審査会の全員が必須で観ることになります。
一方で、被害者の傷の様子や司法解剖の様子は、証拠写真として手元にあるものの、封じられていて不用意には見られないようになっています。
ただ、いろんな状況を知らないとなあという一応真面目な気持ちと、そういう画像を見る機会もないしなあという好奇心で、ちょっと事件被害者の画像を見てみました。
封緘を解いて、写真を眺めてみます。
損壊して傷だらけになった遺体、その後の司法解剖の様子などが数十枚並んでいます。
最初は全身でしたが、徐々に細かく切り分けられた臓物や骨、摘出された脳、眼球だけの画像など、基本的に「赤色」で構成された様々な画像が並んでいました。
ただ、思ったより引くこともなく、何とも感じませんでした。
これは別に、私がサイコパスとかそういった要素があるということではないでしょう。
私は不真面目に生きていますので、自分の事もどこか他人事な気質があります。
なので、写真を見ても他人ごとですし、「赤いなあ」とかその程度の感想くらいしかありませんでした。
グロ耐性
平気だった理由のひとつには、ドラマや映画、ゲームなどでそういった画像を見慣れているというのもあると思います。
今アマプラで観ている「ボーイズ」は人の頭がしょっちゅうはじけ飛びますし、(あまりやってないけど)ホラーゲーム系も時折何か出ちゃってることがあります。
そういった創作の中で見ているせいで、写真で見た場合にその創作の延長として認識してしまって、あまり現実の遺体であるという意識が薄れるのかなと。
そう考えると、CGが発達した今の世の中、最近の子達の方がそういったグロ画像には大勢が強いのかなと思いました(規制も増えたのかもしれないけど)。
その写真群を見た数日後に、駅のホームで鳩が胸から血を流して死んでいたのですが、そちらの方がちょっと引きました。
鳥の死体と人間の死体でどちらが精神的にきついかは、普通は人間でしょう。
それでも鳩の死体の方が少し嫌だったのは、確実に目の前にあるからという差があるのでしょう。
なので、目の前で司法解剖や解体が行われた場合は、匂いや場の空気も含めて、流石にダメだと思います。
(他人の)死に近づかないように
私も信仰に熱心ではありませんが、古来から「死は穢れ」とされる思考・文化も数多くあります。
不必要に他人や他者の死に近づかないように、どこか根源的な部分で避けているのかもしれませんね。