女性蔑視発言がずいぶん話題になっていると聞きました。
その線引きってどこにあるのか、未だによく分からないんですよね。
2年半前くらいに、こんな記事を書きました。
超ショートですので、一読いただけると幸いです。
この時も思ったんですけど、どこからってのが非常に難しいと思うんですよね。
今回のオリンピックがらみの発言については、
①男女平等をうたったオリンピック・パラリンピック推進の最高責任者が、
②女性全般に対して、
③女は話が長いというデータが不確実なことを言った、
の3点がポイントのように感じています(個人の感想です)。
発言内容そのものもそうですが、それを言っちゃいけない立場というのもあるわけで。
これが「女性は力が弱いから~」みたいな話だったとしても、これも差別?
逆に「女性は優秀ですから~」は男性への差別になる?
もしくは「年寄りは話が長いから~」はどうなんでしょう?
例えば、男女3人ずつの6人チーム&実際に女性3人の話が長い場合に、チームの一般男性が「うちのチームの女性は話が長い」と言ったとして。
その3人から嫌われるのは除くと、それ以外は問題ないと思うんですが、これくらいでも怪しい感じがしてきました。
たまたまAさん、Bさん、Cさんの話が長かっただけで、それを女性というカテゴリーにひっくるめるのは良くないとか言われそう。
あとは男女を入れ替えても同じくらい批判されるの?というところもありますが、それは仮定の話ですのでさておき。
私が自分も含めて性別にあまり関心がないせいもありますが、何にしても性別だけ特別扱いし過ぎっていう気がしてなりません。
「80歳超がトップなのがおかしい」という批判も、年齢による差別と言えますし(実際にトップとしての適正があるかは別として)。
一番の疑問としては、ジェンダーフリーとクォータ制の関係がいまだに理解できないんですよね。
究極の性差別がクォータ制だと感じてしまいますが、今のところクォータ制も一般的に”良い事”とされているような。
(もちろん、昔から女性の参画が妨げられてきたという経緯は多少理解していますが)
多様性とか平等というのは、性だけで割り当てればそれでいいって感じがして、徒競走で「最後はみんな並んでゴールしましょう」に似た不気味さがあります。
まあこんなことを実際に人に言っても、プラスになることは皆無なので、こんなところに書き記すだけにしておきます。
深く考えないことが、ある意味差別にもならない気もしますが、そういうとまた意識高い人から怒られそうだしなあ。
タイトルは疑問形にしましたが、明確な答えがあるとも思ってません。
性に限らず、差別問題に「常に絶対に正しい人」もいないでしょう。
とりあえず本でも読んで勉強して、最低限自分の身は守りたいと思います。