「52ヘルツのクジラたち」 町田そのこ 著
2021年の本屋大賞の最終10作にノミネートされていたので、読んでみることにしました。
「王様のブランチでも話題」とか「マツコ絶賛」と書かれていると一気に萎えるのですが、それを乗り越えて手に取ってみました。
直接的なネタバレはしないつもりですが、感想においてバレる可能性はあります。
「52ヘルツのクジラたち」のあらすじ
主人公は30歳手前の三島貴瑚(みしまきこ)。
訳あって、大分県の田舎の海辺の町に一人で引っ越してきた。
閉鎖的な町は、貴瑚の良からぬ根も葉もない噂が飛び交っており、貴瑚は田舎に辟易としていた。
ある雨の日、雨宿りで助けた口のきけない中学生くらいの少年が、家族から虐待されていたことを知ってしまう。
筆談で事情を聞くと、母親からは「ムシ」と呼ばれて暴力を振るわれ、祖父からは存在を無視され続けているという。
話せなくなったのは、幼い頃に母親から舌にタバコを押し付けられたことで精神的に病んだということらしい。
貴瑚はその少年を52ヘルツのクジラから「52(ごじゅうに)」という名前を付け、何とか愛のある生活を取り戻させようと奔走する。
貴瑚も、幼いころから母の再婚相手からかなりの虐待を受け、更には実母も手を出し始めた。
義父と母との子である弟も、姉の貴瑚には無関心。
その後、貴瑚が高校3年生のときに義父は重病にかかってしまうが、孤独に介護を続ける貴瑚にも、更に強く当たり続けた。
一般の感覚がマヒした貴瑚は、全てを投げうって義父の介護をしていたが、母からは「(代わりに)こいつがが死ねばいいのに」とまで言われ、ついに壊れてしまう。
そのまま街を徘徊していると、同級生であった美晴と、その友人の安吾と出会う。
彼女らに助けられ、徐々に普通の生活を取り戻し始めた貴瑚。
就職先も無事に決まり、そこの若い専務の主税(ちから)に見初められて交際しだすなど順調に見えたが、安吾の態度がおかしくなっていった。
安吾の秘密、貴瑚の愛の行方と、現在の「52」などが錯綜しながら、物語は進んでいく。
52ヘルツのクジラたちの意味
「52ヘルツのクジラ」というのは、実在のクジラのことだそうです。
クジラは鳴き声があり、それによってクジラ同士でコミュニケーションを取っています。
しかし、52ヘルツで鳴くクジラは、他のクジラたちの可聴範囲外の声であり、すなわち仲間たちに自分の声を届けることができません。
そんな正体不明のクジラが、世界各地で観測のみされているようです。
作中の「52」は、精神的に声を失っていて、誰にも虐待のある事実を伝えることができません。
昔の貴瑚もまた、虐待のことも義父のことも誰にも相談もできず、声なき声で叫ぶだけでした。
美晴も安吾もそれは同様ですし、主税も人には言えないことがありました。
誰しも、52ヘルツのクジラになり得ますし、「たち」という複数なのはそういうことなのでしょう。
一応、人間の耳は20ヘルツ~2万ヘルツまで聞こえるそうです。
が、52ヘルツはかなり下限に近いため、人によっては聞こえないんですかね?
そもそも水中で低周波の音がどのように聞こえるのか、全く想像もつきません。
感想まとめ
文章は平易ですので、かなり読みやすいです(2時間ちょいくらいで読破)。
届かない声というのは、別に虐待に限らず世の中にあるでしょうし、声をあげる事すら知らない・できない状況もあるのでしょうね。
メチャメチャ苦しい壁だって ふいになぜか
ぶち壊す勇気とPOWER 湧いてくるのは
メチャメチャ厳しい人達が ふいに見せた
やさしさのせいだったりするんだろうね
(微笑みの爆弾)
貴瑚の前半の人生は、正にこの歌の状況でしょう。
虐待をされながらも、時々気まぐれに見せる優しさ。
実母という簡単には切れない絆への望みが残っていたため、人生を搾取され続け、必要とされたがったのでしょう。
愛情に飢えるということですかね。
一人暮らしも長いと愛情を感じることは極めて稀ですが、虐待されないだけ恵まれているとも言えます。
特に子供は、親から逃げ切るのはかなり困難ですからねえ。
貴瑚はそんな経験をしてきたために、「52」への同情と愛情が生じたのですが、対応策が「自分で何とかする」に偏り過ぎているように感じました。
実際に虐待している子を目の当たりにしたことはありませんが、施設か警察か相談所か…しか思いつきませんし、自分で保護しようものなら逮捕されかねません。
気持ち先行、さらにフィクションであるということは当然理解していますが、若干整合性が乏しい印象を受けました。
が、落としどころはそこそこ現実的な締めでした。
綺麗にまとまっていて、終わり良ければすべて良しでいいんじゃないでしょうか。
色々書いてますが、そこそこ面白かったです。
ただ、貴瑚が少年に対し、親に「ムシ」と呼ばれているのが酷いと感じるので、代わりに「52(ごじゅうに)」と呼ぶというのは、それはそれで酷い気がしたのは私だけでしょうか。
お前の声は届かないんだよ、という渾名を、精神的に病んで喋れない子に名付けるのは。
あぁ、これは私が家庭環境のせいで卑屈に育ったから、そう受け取ってしまうのか。
虐待の連鎖はあるのか
虐待された子は虐待の連鎖を生むなんて記事も見たことがありますが、統計的に有意な差が出ているんですかね?
「日本こども支援協会」というところのHPを見ると、「虐待された子が虐待する親になる確率は、ほぼ7割」と書かれています。
これが本当だとすると、虐待を受けていない「自然発生」が一定数ともいるでしょうから、虐待はなくならないはずです。
私には子どもはいませんが、姪っ子などを何度か預かってみると、「静かにしろよ」と思うことなどはしょっちゅうあります。
いついかなる時も子どもが可愛くて何でも許せるなんて聖人はいないと思います。
当たり前ですがその先にある、具体的に行動(虐待)に移すか否かには非常に大きな差がありますが、きっかけなんて意外と身近にあるのかもしれません。
子育ては親育ちだ、なんて言い方もありますが、子どもを育てている人でも、変な奴はいくらでもいるわけですし。
冗談でも本人たちには言えませんが、もし姪っ子が虐待でも受けていようものなら、兄妹をぶん殴ってでも保護はするでしょうね。
ただ、それが見ず知らずの子どもに「疑いがある」程度のことで何らかの行動に移せるかというと、かなり難しいですね。
ただでさえ、独身男性なんて社会的(法的?)に弱い存在ですし。
家庭環境と育ち方
家族連れを見ていて嫌いなのは、親の口が悪いときですね。
ショッピングモールなどで3~4歳の子がちょっとはしゃいでいると「おめーうるせーんだよ!!」みたいな口調の。
経験上、どちらかというと母親の方に多い印象ですが、それが続くとどういう子に育つのかなあと気になります。
幸い、私は虐待はされませんでしたが、男・男・女の真ん中ですから、家族内ではかなり薄い存在でした。
それはそれで、兄妹より要領が良かったという利点につながったので、別に文句もありません。
代償として、明るい性格や人とのコミュニケーション能力などが奪われているようにも感じます。
ただ環境というよりは、生まれ持った性質が、一人でいることでさらに増幅されたような気もします。
3つ子の魂百まで、とも言いますし、3歳くらいの記憶はほぼないので、どう育てられたかは分かりませんが…
3歳の頃は妹も生まれていなかったから、私が主役だったのかもしれませんし。
まとまりようがなくなったので、ここで終わり。