東日本大震災から10年が経ちました。
年齢のせいもありますが、あっという間だったように思います。
前にも書いたかもしれませんが、あの時のことを少し。
当時はメンタルが今以上にアレな感じでしたので、あまり深刻さを感じなかったというのが正直なところでした。
なので、ところどころ軽薄な感想があるかもしれませんが、ご了承ください。
その時は、まだ実家暮らし。
仕事がたまたま出張中で、歩いて行ける範囲のところにいました。
揺れが始まったときもあまり危機感を覚えず、「みんな机の下に行こうとしているなあ」とのんびりしていました。
揺れが収まってからは、実家の状況が不安だったので、さっさと帰ることにしました。
家では本棚がいくつか倒れていたくらいで母親も無事、特に被害を感じることはありませんでした。
ただ、電車・道路はかなり混乱していましたし、津波の懸念というのも、実家に着いてから気が付きました。
東京湾沿いに住んでいたので、津波が起きるということに全く意識が向いていませんでした。
携帯電話も誰ともなかなか通じなかったのですが、たまたま繋がった同僚が帰宅難民化しているということで、実家で保護することになり、歩いて15分ほどのところまで迎えに行きました。
その時点で夕方~夜でしたが、確か電気は付いていたように思います。
母親が夕飯にカレーを作って食べましたが、食べながら津波&火災の中継映像を見ていました。
燃えさかる建物がそのまま津波で流されている映像をみて、あまり現実感を覚えませんでした。
そしてその後は、普通に風呂に入って寝たはず。
翌日は土曜日でしたので、同僚を車で送ることにしました。
車で小一時間かかり、向こうの父親に引き渡したのですが、あまり苦労した覚えがありませんので、この時も停電や液状化などは関係なかったのだろうと思います。
翌日以降は、放射能のことが急に不安になりました。
飲んでいる水は大丈夫なのかとか、そもそも普通に生活していて問題ないのかとか。
その時はどちらかというと死んでもいいなあと日々思っていましたが、「じわじわとやられる」「何年後かに影響が」というのは恐怖に感じました。
まあその不安も一過性のもので、数日後には普通の状態に戻っていましたが。
幸いにも、私の家の周りも当時の職場も、病院等が近かったおかげで計画停電の対象外であり、その後も比較的、(メンタルは別として)日常生活を取り戻すのは早かったです。
申し訳ないですが現実的に行方不明者の方も含めると2万人近い人が亡くなりました。
当初の報道でも、数千人~1万人の死者というのが伝えられたと思うのですが、やはり何というか虚無感ばかりで現実感をあまり覚えませんでした。
2013年に、津波被害の大きかった気仙沼に行く機会がありました。
「復興商店街」という元々は商店街があった地域で、新たに商店街をやり直そうとしている方々に話を伺いました。
非常に前向きであったことと、「車を置いて逃げた人が助かり、車で逃げようとした人が亡くなった」という話を印象的に覚えています。
周辺の建物はほとんど手付かずの状態で残っていて、学校や銀行など、鉄骨だけがかろうじて残っている様子も何となく記憶にあります。
そこで初めて、津波の現実的な強さというのが分かった気がしました。
翌年以降、毎年1度くらい、福島~宮城~岩手辺りに行くようにしていました。
私は無償ボランティアするほど人間ができていないので、「消費活動でお金を落とす」以外に支援の仕方を知りません。
昨年は行くことができませんでしたが、震災の爪痕はまだまだ大きいですし、ハードが直ってもソフト、特に人の心は一生治らない場合もあるでしょう。
2016年の熊本地震の半年後も行きましたが、直接被害に遭っていなくても現地の苦労を直接知ると、改めて思うところがいくつか出てきます。
また気軽に東北にも行けるようになるといいんですけどね。
少しずつひとり旅にも行こうと思ってますが、緊急事態宣言中~しばらくは関東圏内くらいに自粛しておこうと思います。