「一九八四年」(1984年) ジョージ・オーウェル著
有名作と知りながらも読んだことがありませんでしたが、ようやく読み終えました。
さすがは名作と名高い作品で、読み応えもありました。
これが半世紀以上前の、1949年に刊行されたというのも驚きでした。
1984年のあらすじ(ネタバレあり)
舞台は1984年(書かれた当時から見れば近未来)のロンドン。
世界は超大国3か国が三つ巴で戦争を続けており、主人公のウィンストンがいるオセアニアもその一か国であった。
国民の生活は「ビッグブラザー」を筆頭とする「党」に常に監視されている。
街中の至る所、家の中にも「テレスクリーン」という監視システムが設置され、表情まで見られている。
法律は明文化されていないが、党への反逆は思想警察により、考えただけでも思考犯罪として取り締まられ、拷問の後、終身刑か銃殺となる。
ニュースは党に都合の良いことしか流されず、党の予想と違う出来事が起こった場合は、全ての過去の記録が書き換えられ、間違った予想自体が無かったことになる。
ウィンストンは、思考犯罪と知りながら「ビッグブラザーをやっつけろ」と日記に書き、党への反乱を胸にくすぶっていた。
党中枢の幹部・オブライエンならば、彼と共に立ち上がってくれると信じ、接近する機会をうかがっていた。
党への気持ちを同じくする恋人のジュリアと何度も密会を続けていたが、とうとうオブライエンとの面談機会を得る。
オブライエンはウィンストンを仲間に組み入れ、様々な指示を出していった。
しかし、ある日ジュリアと共にいるところを、思考警察に捕まってしまう。
オブライエンは純粋な党幹部であり、ウィンストンは泳がされていただけだった。
捕まったウィンストンは、オブライエンからあらゆる拷問を受け続ける。
拷問は、思考の正当化のため。
拷問の末に、仕方なくではなく、心の底から屈服して党へ服従し、ありとあらゆる罪を認めさせるのが目的である。
ジュリアへの思いだけは捨てきれなかったウィンストンだが、最後の最後にはジュリアをも裏切ってしまい、そこで拷問は終わりを告げた。
精神だけは屈服しないと決意していたウィンストンの心は折れ、最後には…
言語を奪う・過去を書き換えるという支配
この世界では、「ニュースピーク」という新しい言語が開発されています。
そこで面白い発想だなあと思ったのが、「語彙をどんどん減らしていく」ということ。
人間の思考は基本的に言語によって整理されているので、語彙力は思考の幅に大きく影響します。
ニュースピークでは、「自由」という言葉からは政治的な意味合いなどは削除されており、単なる自由行動といった意味合いでしか使われないとされています。
この発想はなかなか面白いなあと思いました。
死語もありますが、語彙は年々増えていくものだと思いますが、新しい言葉が生まれず徐々に「消滅」するのであれば、思考の幅も狭くなるのかというのは興味があります。
また、過去の書き換えと言う支配の仕方も(創作ですから)面白いと思いました。
例えば、ある農産物の生産量が年間100トンという予想を党が立てたのに、数か月後、実際には80トンだった場合。
数か月前の発表が年間80トンという予想に書き換えられ(もしくは70トンと過少に)、結果も80トンで党の言った通り(もしくは、党の予想を超えて良い事だった)という風に報道されます。
今の情報化社会では難しいでしょうが、ありとあらゆる記録が書き換えられたとして。
果たして、自分の記憶が正しい!と自信を持って言うのは困難だと思いました。
感想まとめ
あらゆる音・動き・表情など一挙手一投足の全てが監視されている社会。
貧富の構造や情報統制、言語など、SF小説ながらいろんな視点で考えさせられる作品でした。
私なんかはたぶん簡単に屈するような気がします、もしくは自害か。
決して明るく楽しい小説ではないですし、SF要素があって付いていくのが大変な部分もありますが、読んでいて興味深い作品でした。
精神支配は可能か?
1984年では、上記のようなことに加えて、徹底した監視により、精神支配が行われています。
何よりの目標が、「拷問で言わせる」のではなく、「心の底から信じ込ませる」というのが、怖いところです。
ただ、精神支配が可能か?というと、実際にはそういう事例も多いみたいですね。
テレビのニュースでも、占い師等により洗脳状態で…という話題を聞くことがあります。
うろ覚えですが、看守と囚人の心理実験でも、囚人側は自分が悪いと思いこむものだそうですね。
情報の与え方・拷問・アメとムチ…いろいろなものを組み合わせていけば、いわゆる洗脳はできてしまうんでしょうね。
そういった極端な手法を使わなくても、私だって何らかの洗脳を無自覚に受けているのかもしれません。
例えば、この世界は大宇宙神様によって形成された仮初めであり、我々はいわばゲームの駒のような存在。我々が自由意思だと感じていることも、実際には大宇宙神様が戯れに我々の心を操作して、あたかも自然発生したかのようにしているものだとは理解していますが、皆さんの周りにも「それは違う!大宇宙神様などいない!」と洗脳・精神支配をされている人もいると思います。
そういった人々を温かい心で接してあげるのも我々ヒューマノイドの役目ではありますが、簡単に騙されているなんて滑稽だなあと思うのも(これも大宇宙神様が滑稽と認識させているのですが)、無理もないことだと思います。
一応お伝えしておくと、私は分かって書いてますからね。
とりあえずオススメできるSF小説でした。