ツレっぽい人がウツになったこともあり、考えていたことを少し。
うつ病はさておき、「新型うつ」は未だに議論を呼んでいます。
新型うつは医学的見地のない私が簡単に言うと、仕事に関わることのみ「うつ状態」になるもの。
仕事に関わらなければ至って健康で、自宅療養をしていたとしても、旅行や買い物にも行けるようです。
これに関しては、きちんと精神科医が認定しているようなので、罹った人には治してねとしか言えません。
私の場合。
いついかなる時も(お金が貰えるなら)仕事には行きたくないですが、完全に仕事が嫌いなだけです。
物理的に身体を壊し、それに伴って心が折れかけてた10年くらい前は、仕事中に「あーこのまま息止めてたら死ぬかなー」くらいの感じでしたが、最近は「あーやる気出ない」くらいです。
10年前の時ならいざ知らず、今のままでは「新型うつ」と診断されることはないでしょう。
まあ最近の仕事が、こっちのタスクを終えて相手に投げる→待つ→投げ返すというキャッチボール形式なせいもあります。
特に、最近はやたらと相手のレスポンスが悪いので、キャッチボールの相手こそ何人もいますが、全員に投げ終わると基本的に暇な時間となってしまいます。
社内システム担当でもあるので、そっちの仕事もあるのですが、こちらも平常時はそれほどでもなく。
最近でいうと、「HSP」がありますね。
Highly Sensitive Personの略で、簡単に言えば「繊細な人」です。
もう少し具体的に言えば、「感受性の極めて高い人」です。
共感性が高く人目も気にしてしまうため、何かとストレスが溜まって精神的に疲れることも多いみたいですね。
ただ、これは医学的に認められたものではなく、10人に1~2人くらいいるようです。
この言葉と「繊細さん」とかいう呼び名が世に出たことで「自分はHSPだったのか」と認識した人が多かった(ようにTwitter等では見受けられた)です。
それでまあ、新型うつにしても、HSPにしても、コミュ障にしても、そういう概念・カテゴライズができると、「自分もそう」「あの人はそう」と当てはめることがよくあります。
特に自分のコンプレックスになっていた場合には「私はHSPだったのか」「自分はコミュ障なんで」と自分の納得感と相手への共感を得やすくなるというメリットがあります。
が、しかし。
どうもその自己認識によって、どことなく自分を正当化したいだけのような感じがします。
いや、それで自分の気持ちが救われる人はいいんですけど、少なくとも私はそれで自分の慰めにはできません。
コミュ障と言ってしまうのは簡単ですが、それでも最低限のコミュニケーションは何とかしようと思ってますし、今のところは何とかなっていると思います。
私は昔から致命的に片づけや整理整頓ができず、いつも部屋は散らかっていて、かろうじて足の踏み場がある、くらいのことが多いです。
また集中力もほとんどない(注意転導)ので、恐らく発達障害の一種なのかもしれません。
診断を受ければ明確に分かるのですが、かといって診断を受けてしまうと自分の中で「発達障害だから仕方ないか」という気持ちが湧いてしまう気がします。
繰り返しですが、その人本人が納得・安心するためにそういった病気やカテゴライズを利用するのは、むしろ正しいと思います。
(病気・障害とHSPやコミュ障(自称)を一緒くたにしてはいけないとも思いますが)
誰だって自分をきちんと理解したいでしょうし、あるいは言い訳したい気持ちもあるでしょうし、無理なことは無理と言いたいものです。
ただ私の場合は、自分への言い訳になってしまいそうなので、余計な既成概念を植え付けず、改善すべきところは改善したいと思います。
じゃあ部屋を片付けろと言われても、片づけませんけどね。