台湾には多少興味がありまして、そこで研究の一環として、ITの天才と言われるオードリー・タン氏の自伝本などを読んでいます。
よく考えると、自伝本を読んだのって初めてかもしれません。
(上の画像だと、帯が超ダサいので買わなかったでしょうが)
それはさておき、最初に氏の写真を見たときは、ああ化粧はしているようだけど男性なんだと思いました。
次に別の機会で見たときに、あれ、女性か?と思い直しました。
それで結果として、(著書内ではなかったと思いますが)何かの記事を見た際に、「生まれたときは男性、その後女性に転換し(しようとしただけ?)、今は「無」としている」みたいな内容を見ました。
ここまでは前フリです。
氏の事に限らず、頭では性別を気にしないつもりでしたが、私もやはり気になってしまっていたようでした。
ジェンダーフリーな話も出てきてますが、とはいえ人間はデジタルじゃないですし、それが旧来の区分だとしても、「男女」でそれなりの付き合い方や捉え方が出てきてしまうもので。
多くの人は、私を男性として認識します。
それはつまり、一般的な女性ならば私に対してある種の警戒感を抱くでしょうから、私は更にそれを考慮した上で行動しなければなりません。
平たく言えば、満員電車では離れとこうとか、夜道で近づかないとか。
ビジネスライクな関係だったとしても、例えば相手が女性(その人自身の性認識も含め)だった場合に、「中年独身男性」の私は何らかの気を使う必要があります。
今はコロナで全くありませんが、たとえば打ち上げに食事に誘ったとしても、男性である私が女性を誘うのと男性を誘うのでは、だいぶ意味合いが違ってくるのが現実だと思います。
その辺りでの、いわゆるセックス(好意じゃなくて肉体的性別の方ね)とジェンダー(社会的性区別)の境界線がイマイチ分かりません。
性別で全てを判断するのは論外としても、多くの部分で性に関して考慮しなければ人と接することはできないでしょう。
そしてその判断基準は、結局はマジョリティに従った方がお互い無難です。
まあ何が言いたいのかまとめると、自分もまだまだ性に縛られる部分は多々あるし、それが当たり前で別にいいかなと思い直してきたというところです。
元々、ジェンダー問題に対して一番率直に思うのは「性だけ特別扱いし過ぎ」というところ。
と、これを書いている時点では考えているのですが、性に関してはあまり考えを一本化できていない気がします。
(なので何回も記事にしているわけですが)
たぶん、私自身はアセクシュアル(恋愛などに特に関心がない)に近そうだという自己認識なので、そういう意見なのかもしれません。
ただ、アセクシュアルは「恋愛などに関心のない『セクシュアリティ』」という、もはやセクシュアリティは関係ないんじゃないか?という定義のようなので、この認識も正しいのか分かりません。
更によく分からなくなったので、最後に一言書いておくと、LINEスタンプ販売中です。