高校の3年間、ほぼ友達もいませんでしたが、皆勤賞をもらいました。
つまり無遅刻・無欠席・無早退で、授業に100%出席したということです。
高校の頃、というか中学の後半から相当量の筋トレをやっておりました。
そのおかげで、中1~中2くらいは年に数回、学校を休んでいたと思いますが、中3以降はほとんど体調を崩すことがなくなりました。
(オスグッドシュラッター病に罹ったので、ヒザは壊れがちでしたが)
そんなわけで、冒頭に書いた通り、高校3年間は皆勤賞でした。
ただこれは単に健康だったからだけではなく、「休むのが面倒だったから」です。
学校を休もうとすると、学校に電話したり、病院に行ったり、場合によっては宿題やノートを借りたり、テストの日なら追試になったり…
もうそんな全てが面倒くさくて仕方ありません。
学校に親しい友達なんてほとんどいなかったので、楽しくて行っていたことは全く無く、ただただ「サボるのが面倒」という理由で行き続けた結果の皆勤賞です。
皆勤賞を取った人は卒業式で表彰されるのですが、「あの人、存在感なかったけど毎日居たってこと?」みたいな感じで奇異の目で見られたことでしょう。
本題です。
前にも同じようなことは書いていると思いますが…
面倒くさがりを突き詰めていくと、「ちゃんとサボるためのひと手間」を考えるようになります。
ひと手間の面倒なことをやることで、ふた手間分くらい省けるのであれば、それはやるべきこと。
高校の頃の私にとってはそれが「毎日学校に行くこと」でした。
逆に「学校を休む」と「それ以外の手間」を天秤にかけたときに、休むほうがいいならもちろん休んでいいと思います。
ただ、その価値観だけで判断すると、大人になって義務や責任が被さってきたときに、本当の困難に直面することになりますけどね。
なんて言いながらも、大人になるとサボり方も上手くなりますし、そんなに成長したいとも思わないので(ゼロではないですが)、ひと手間すら惜しんで逃げることもたまーにあります。
それで誰にも迷惑をかけないのであれば、別にいいかなとも思います。
そんなわけで私のオリジナル座右の銘は「手を抜くことに手を抜かない」です。
私が有名になったら、「人間だもの」のような個人美術館を開きたいと思います(遺作でもいいです)。
ちなみに大学は高校以上に友達がいなかったので、授業を欠席したのは就活以外では恐らくゼロです。
ノートを借りることなど不可能ですからね。
そんなコミュニケーション能力の絶望的な私でも就職はできましたし、今でも客観的にはそれなりに仕事ができているので、「コミュ障」とか言って逃げるのは良くないですね。
ただ、学校で友達は作った方がいいと思います。本当に。
ついでにもう1つ、皆勤賞について。
何か最近は「皆勤賞を受賞することが悪(無理して登校させるとか、休むことが悪いという意識を植え付けるとか)」という風潮もあるみたいですね。
休むことの大事さと、休まずに通い続けた体力・精神力を褒めることはまた別だと思いますけどね。
足が遅いのは悪ではないけど、足が速いのはすごい、と同じようなことだと思います。
まあ私のような不純な動機の人は、褒めなくてもいいですが。