「最近の若者は…」
と言われるような年齢でもなくなりつつあり、逆に言う側の年齢になってきましたアラフォー世代です。
自分は昔より、排他的になったのか、それとも違うのか?とふと思いました。
分かりやすいか分かりませんが、Youtuberで例えてみます。
最近のニュースで言えば、「Youtuber30人(?)が緊急事態宣言下に大宴会」みたいなニュースを見たとき。
そもそもテレビのバラエティに何の面白さも感じないので、「〇〇してみた」みたいなノリのYoutuberなんて更に輪をかけて興味がありません。
Youtuberが私に認知されたときには、そんな動画ばかりが出回っていて、それがイコールYoutuberという認識に紐づいてしまったため、未だにYoutuber全体が好きではありません。
で、そんな人の価値観、またそれを応援する人達の価値観に対しては、どちらかと言えば排他的な視点で見ています。
また、SNSなどで「バズる」系の投稿なども、大抵は引くようなものか、全く興味をわかないかの二択です。
言い回しが気持ち悪いとかね。
言い回しは好みの問題ですが、それ以外の新たな価値観に対して、排他的に感じてしまうこと。
それは私自身が狭量・排他的になったわけではなく、"価値観が伝わる情報"が増えすぎたせいかなあと思います。
メディアによって、極端な価値観やそのバラつきが明らかになってきただけかもしれない。
簡単に言えば、SNSが登場して全ての人が発信できるようになったせいですね。
昭和~平成中期くらいまでは、メディアといえばテレビ・新聞・ラジオですから、そこに出演する人か、もしくは自分の身の回りの人の価値観しか知り得ません。
私がランドセルを背負っていたころにも、今でいうYoutuberみたいな(私にとってはどうでもいい)活動をしていた人も、世の中にはたくさんいたのかもしれません。
それが私に情報として伝わる術がなかったため、その人の価値観を知る由もなく、したがって「これはないわー」と排他的に感じることすらなかったのではないか?
もちろん、SNSその他新技術が出てきて、それにより承認欲求や、良い言い方をすれば創作意欲が掻き立てられた人も出た=新しい価値観が生まれた面もあるかとは思いますが。
ただ、「狭量になった」ではないだけであり、もともと「狭量である」ことに変わりはないのかもしれませんね。
別に人に迷惑さえかけなければ、思想は排他的でもいいと開き直ってますが。
まとめると…
人に迷惑をかけない。
内心は何を思っても仕方ない。
でも広い心を持とう。
おわり。