G-log 日々思うこと

GOです。旅・ゲーム・その他なんでも。雑記ブログなので、散らかしています。仲良くしてね。お問い合わせはTwitterかコメントで。

【はてな】「記憶に残っている、あの日」少し不思議な感覚かもしれない。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

f:id:GK_GK21:20210717172723p:plain

 

「記憶に残っている、あの日」というお題がありましたので、書いてみようと思います。

 

 

あまり他人に理解されたことがないのですが、自我が生まれた日を記憶しています。

と言っても、何年何月何日という具体的な日付を覚えているわけではありません。

あれは私が3歳くらいの夏だったと思います。

 

当時のリビングには、床置き型のエアコンがありました。

私の初めての記憶は、そこの前に立っているところから始まります。

その時の感覚は今でも鮮明に覚えているのですが…

以下、その時の感覚です。

 

急に、視界がリビングの中で開けて、「あ、ここは自分の家だ」と認識します。

そして次に「自分は確か…〇〇という名前だ」。

「今、隣で一緒にクーラーで涼みに来たのは兄だ。兄の名前は〇〇だ」といった具合に、にわかに自分のアイデンティティや、周辺の状況を認識したのです。

私の初めての記憶はここで、この日のことを個人的に「物心がついた日」と読んでいます。

 

特に「この人は兄、自分は弟という立場」ということを理解をした瞬間の「腑に落ちた感じ」は、大人で言えば難しい数式やら論理クイズが解けたときのような感覚に近いです。

ただ、この感覚は、誰に言ってもあまり共感されないんですよね。

確かに、昨今の「異世界転生もの」(ほとんど読んだことないけど)でありがちな、「自分は〇〇で、確か死んだはずだけど、この世界は〇〇…」とスルスル理解してと納得しちゃってるみたいだなあと我ながら思います。

もちろん3歳くらいなんで、自我の芽生えと言いながらも大した知能も言語能力も乏しく、もっと拙い認識であったでしょう。

 

でも世界が急速に広がっていった日というか、それまで存在していなかったような自分の記憶の「無」から「有」が生まれた瞬間というか、その感覚は今でも新鮮で良い体験だなあと思っています。

理解を得られるか得られないかは分かりませんが、大事にしていきたいですね。

 


www.youtube.com

〝こんな記事もあります〞