「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」 オードリー・タン著
あらすじと感想
内容は台湾におけるデジタル×政策と、オードリー・タン氏の半生といった感じ。
氏は1981年生まれ。15歳で中学校を中退し、いくつかの会社を立ち上げ、35歳で行政院(日本で言う内閣)に最年少で登用。
以降は、政府で部署横断的な立ち位置で、広く言えばデジタル化に努めているそうです。
読むと、台湾の政府や教育においては日本以上に進んでいるように見受けられます。
それ以上に、国民と政府の信頼関係が必要だなと感じました。
コロナ禍が始まったころ、台湾のマスク販売システムやアプリが話題になりました。
最初は悠遊カード(日本で言うSuicaみたいな交通系電子マネー)で購入することで購入者を特定して購入数を制限するということでしたが、高齢者が使わないことから、その方法をすぐに停止。
日本だと、すぐにコロコロ変えたらまた批判されるだけでしょう(台湾でもそうだったかは不明)。
結果は、保険証のような皆が持っているものでの管理に切り替えたそうです。
で、その台湾のマスク販売情報アプリは元々、台湾の一市民が作ったそうで。
そして、シビックハッカーといわれる政府のデータを使ってアプリを作るような市民が8000人以上、Slackでつながっているそうです。
この人達が有償・無償なのかとか、信頼できる人なのかといったことはさておき、そういう公共性のために活動する技術者がいるというのはすごいですね。
デジタル知識<センス
デジタル技術の知識もあればあるだけいいですが、まずはデジタルに対するセンスの問題があります。
例えば、皆さんの周りにもデジタル機器アレルギーとでもいえるような、何一つ難しい操作がなくても「よく分からないから」という理由で触ることすらできない人や、こんなに丁寧なUIなのに理解できないの?という人がいるでしょう。
知識は欲しい一方で、センスというか感覚というか、その辺は最低限保っておきたいですね。
例えば、スマートフォンが普及していなかった十数年前は、タッチ操作は多少存在しましたが主流ではなく、スライドやピンチなどの操作はほぼ全員がしたことなかったでしょう。
そんなもの一つとっても、センスがあればすぐに対応できますが、できない人はいつまで経っても対応できません(例えが簡単過ぎましたかね)。
今後も新しい技術やデバイスが出てくるでしょうが、理屈は理解できずともセンスで乗り切れるようにありたいですね。
デジタル×人間性
感想としては、やっぱりデジタルだけでは駄目だと感じました。
本で読む限りではありますが、オードリー・タン氏は、公共の利益・公共の福祉というものを前提としたデジタル化を進めています。
もう少しスケールを小さくして言えば、他人の気持ちですね。
使う人の利益はもちろんですが、社会的貢献、人の役に立つものになるかどうかというのが、やはりベースにあるべき。
氏の場合は、中学校の中退や、トランスジェンダーであったことなど、背景の特異性も多少あったのかもしれませんが、それにしても高い知識と徳が合わさって、こういった立場に就き、常に耳目を集める人物となったのでしょう。
日本でもデジタル庁なんてのをやろうとしてます。
デジタル知識もさることながら、大金をかけて使い勝手の悪い形式的なデジタル化を各都道府県・市町村に無理やりやらせて、現場が混乱して結局使えない、というパターンにならないことを期待します。