わかりづらくて答えのない話。
満開の桜シーズンも関東では終わりつつあり、桜は北の方に舞っていってしまいました。
東北以北では、これから本格化するような感じでしょうか。
30歳を過ぎたあたりから時々考えること。
「花が綺麗」という感覚がよくわかりません。
満開の桜を見ると「きれいですね」と言ったこともあるかもしれません。
絨毯のような花畑を見て「素晴らしい景色」と思ったこともあるかもしれません。
ただそれが、私自身が本心から思ったことなのか、自信が全くありません。
小さいころから「お花はきれいね」と言われ続けてきたからのような気がします。
花=綺麗と刷り込まれ続けた結果で反射的に感じているだけで、これまで本当に花が綺麗だと思ったことがあるのだろうか?
花をもらったことは数回しかないものの、別にうれしいと思ったことはないですし。
4年前の、花見に関する自分の記事を発掘してみたところ、最後の方になんだかんだ「桜は綺麗」と書いていました。
でもこれも本当にそう感じたのだろうか?
プラトンのいうには、美しいものは美しいという「イデア」を内包しているからであって、そのものの外観の話ではないというような考えがあったと思います。
このイデア論で言えば、花が美のイデアを持っているならば、美しいと感じるのは必然であると言えるのでしょう。
しかしながら、人類普遍の価値観のひとつに「花が綺麗」があるとも思えません。
人類普遍の価値観が、そもそもないのかもしれませんが…
というわけで、何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが、「私は花が綺麗と本当に感じているのか?」については今後も時々考えることになるのだと思います。
私がよくわからないのに現代アートを見に行くのは、おそらく花のような先入観がないものに向き合ったときの自分の感覚を知りたいから…なのかもしれません。
何となく良いことを言った感じになったので終わり。
アート関連記事