教養を身に付けようという中で、「忠臣蔵」ってほとんど知らなかったんですよね。
ドラマによって解釈などは異なるのでしょうが、大筋は理解できました。
大忠臣蔵
今回見たのは、1971年放送の「大忠臣蔵」です。
大河ドラマではないのですが、大河並みのボリュームで全52話。
重ねて書いておきますが、あくまで見たのは大忠臣蔵なので、史実や解釈が異なるかもしれませんのでご了承ください。
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忠臣蔵のストーリーダイジェスト
- 赤穂藩は、塩の製法をめぐって吉良上野介から恨みを買う
- 天皇の勅使の饗応役(≒接待役)を申し付けられ、その饗応の指導役になったのが吉良
- 塩の恨み+貢物がしょぼいなどの理由で、吉良から理不尽な指導を受ける
- 浅野内匠頭も我慢の限界
- 殿中で浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけ
- 翌日、浅野内匠頭は即処罰=切腹&赤穂浅野家はお家取り潰し
- 喧嘩両成敗のはずが、家老・柳沢吉保のひいきもあり吉良上野介はお咎めなし
- 上代家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が立ち上がる
- 浅野家再興などを進言するも聞き入れられず
- 大石内蔵助率いる旧・赤穂藩が吉良上野介への仇討ちを志す
- 各地で仲間集め、武器調達など
- 1702年12月14日夜(正確には明けて15日未明)、江戸の吉良家へ討ち入り
- 無事に吉良上野介の首を討ちとる
- 翌年2月、下った処罰は全員切腹=勝利
- 寺坂吉右衛門のみ生存
感想まとめ
単純な復讐劇ではなく、太平の世における武士としての矜持と、腐敗した政治の是正という側面もあり、あくまで「大義」に基づく復讐劇です。
「武士道」はよくわかりませんが、結局は「生き方」を追求するというよりは「死に方」を追求するような思考なんでしょうか。
吉良家討ち入り後、打ち首は赤穂浪士達の負けであり、切腹ならば赤穂浪士達の政治への勝利という考え方。
死=終わりであればどっちも同じ結果ですが、切腹になったことで勝利となりました。
途中で離脱していった者もいましたが、最後の四十七士の覚悟は素晴らしかったです。
討ち入り自体では一人もやられなかったというのは強すぎる気もしましたが…
赤穂藩は今でも地名が残っており、兵庫県の南西部・赤穂市です。
一度行ってみたい気もしますが…忠臣蔵の舞台上、あまり赤穂って出てこないんですよね…
50年以上前のドラマ
1971年放送のドラマということで、今から50年以上前です。
萩本欽一や渡哲也、田村正和など現役・つい最近まで活躍していた方々もちらほら。
そして、画質や音質なども、そこまで古臭いとか見づらい・聞き取りづらいというところもありませんでした(多少は仕方ないですけどね)。
50年以上前の作品52話を半年くらいかけて見終えたわけですが、まだまだ面白かった作品も眠っているのでしょう。
余談:吉良上野介の地元
吉良上野介の地元は、現在の愛知県西尾市。
知り合いから聞いた限りですが、地元では名士として愛されているそうな。
その知り合いは、西尾市に訪問した際に「吉良上野介って言えば忠臣蔵での仇敵ですよねーみたいな話を地元の人にしたら、割と本気で怒られた」とのことでした。