「伊豆の踊子」 川端康成 著
大変有名な作品ですね。
前にも荒木飛呂彦が表紙を書いたのを読んだのですが、すっかり中身を忘れたので再読と言いつつも、ほぼ新規です。
あらすじなど
旅芸人の一行、特にひとりの踊子と主人公の青年の淡い交流を描いた作品。
伊豆・天城辺りを旅していた20歳の青年(主人公)は、道中でたまたま旅芸人の一行を見かけました。
40代の母親、20代中盤の息子とその17歳の妻。その妹の踊子と雇われの踊子が1人の計5名。
その踊子(妹)に心を惹かれた主人公は、一行にまた会いたいという期待を持って伊豆を進み、はたして峠の茶屋で合流を果たします。
主人公自体もまだ20歳の学生で、かつ相手が大人のようで子どものような踊子への恋心。
残念ながら、今の時代では、少し語るに危険な年齢層(14歳くらいだったか)がお相手。
他の二人の踊子は千代子・百合子と名前で呼べるのに、薫だけは「踊子」と表記されていて、主人公の純朴ぶりもうかがえます。
すっかり旅芸人一行と仲良くなった主人公で、旅を共にしていきます。
途中、旅芸人(当時は下賤とされていた様子)と自分との距離を感じることもありましたが、主人公はそれを超えた好意を抱くようになります。
やがて旅費も尽きた主人公は帰路につくことになりますが、踊子とは心の交流はあったものの、最後は港で別れを遂げます。
感想など
旅芸人というものも、踊子というものも、今の時代にはあまりピンときませんね。
私の世代でも「お店に流しのミュージシャンが来る」というのは知識としては知っていても、経験としてはありません。
まだ文化としては残っているところもあるのかもしれませんが。
踊子と言われると、少し性的なものなのかとも思いますが、家族商売なので、純粋な余興を提供する人たちなのかもしれません。
主人公の「この道に行けば、あの旅芸人にまた会えるのでは」という初心な感じがいいですね。
あたいも若いころはそんなだったさ…そうだったかな?
当時の14歳の踊子という存在は、恋愛対象としてどうだったのでしょう?
モラル的・法的な部分もそうですし、何より人間的に今の14歳よりは大人びていたのでしょうか。
踊子も芸を披露することがあるプロでありつつ、普段の様子はあどけない子供のようで、そのギャップに主人公はより惹かれたのかもしれません。
(もともと、主人公は17~18歳くらいと思っていたらしい)
見た目は大人、頭脳は子供…では困りますが、子供らしさを残した人というのは魅力的だというのは分かる気がします。
旅の同行者
旅行中に誰かと行動を共にする…という経験はちょっとだけですが一度ありました。
西表島で同じ船で到着した人が、たまたま同じ宿。
チェックインがその人が先だったので後ろで待っていると、オプションでシュノーケリングの申し込みをしている様子。
宿の方では「ひとりのために船を出すと割高ですよ」という話で、後ろで薄ぼんやりしていた私に「じゃあ一緒に行きましょう」となりました。
全くやる気のなかったシュノーケリングでしたが、それきっかけで初めての体験&30年ぶりの海ということになりました。
【過去記事参照】
友達もいないので「ひとり旅」がメインですが、旅の同行者がいるというのも悪くないかなと思う今日この頃。
現地集合・現地解散、飯と一部の観光地だけ一緒・・くらいの条件で行ってくれる人がいるとベストなんですけどね。