一定の価値はあると思います。
仕事で千葉を歩いていたところ、こんな店を見つけました。
どん丼食べ亭(どんどんたべてい)。
恐らく丼関係のお店なのでしょう。
やっていたら入ってみたかったですが、残念ながら閉まっていました。
堂々と駄洒落を言える人っていますよね。
「親父ギャグ」なんて言い回しもありましたが、やはり駄洒落を言うのは中高年に多い気がします。
私も中高年に差し掛かったのですが、いまだに堂々と駄洒落を言う勇気はありません。
セミナーや講演で大勢の前で話す機会もあるんですが、こういう時にジョークを言える人というのもなかなかタフだと思います。
真面目に商品概要やら意見を述べるのは比較的簡単ですが、冗談を挟みながらというか、極めて柔らかく話すというのが多少でもできるようになりました。
ちなみに先日、ZOOMオンラインセミナーで司会者&講演&パネルディスカッションのコーディネーター&カメラ切り替えなど全て一人で準備&運営していました。
その際に「オンラインセミナーなんて私1人でも仕切れるのに、目の前には弊社スタッフが何人か管理職もいて、ただ眺めてるんですけど、よっぽど暇なんでしょうね。手伝えないなら自分の席でZOOM見ながら電話番でもしたらいいのに、交通費と移動時間もかけて来てもねえ。というわけで次のテーマは業務改善のためのDXですが…」という話をしました。
これは、セミナー受講者にはウケた(アンケートで「よく言った」と)のですが、身内(主に部長・役員)からは大不評でした。
話を戻しまして。
上の私のセミナー小噺は何人かの中高年を傷つけたのですが、そういう意味では駄洒落は誰も傷つけない笑いなのかもしれません。
布団が吹っ飛ぼうが、みかんの上にみかんがあろうが、別に誰も傷つきません。
(あまり笑えないし、「目上の人が言ったときのいたたまれなさ」に傷付く人もいるでしょうが)
それに「駄洒落を言う人」は少なくともガチガチの堅物ではないと言う評価もできますので、場を和ますという意味では有効かなと少し思い返すようになりました。
結論を言えば、受けようが受けまいが、ある程度の雰囲気づくりには有効なんじゃないかなと思いました。
だからといって堂々と駄洒落を言いたいかと聞かれると、別にそうでもないんですけどね。
駄目な洒落と書いて駄洒落ですしね。