武士道とは 死ぬことと見つけたり
修羅道とは倒すことと見つけたり
子どもの頃にかなりやった、サムライスピリッツ(ゲームボーイ版)のオープニングで毎回流れるメッセージです。服部半蔵が好きでした。
タイトルと記事内容とは関係ありそうで、それほど関係ありません。
IDコール
久しぶりにIDコールをいただきました。
りと(id:rito-jh)さん、いつもありがとうございます。
人生は死ぬまでの暇つぶし
ご紹介いただいた「人生は死ぬまでの暇つぶし」とは、自分でいつ書いたかの記憶がありませんが、たぶん書いたんだろうなと思います。
ただ、りとさんのように、ポジティブから(?)たどり着いた境地ではなく、私の場合は負の感情からたどり着いたものです。
あたいが若かった頃、肉体的にもメンタル的にもやっちまってね。
生死についてよく考えたものさ。
あまり暗い話を長々するのもよろしくないので、結論だけ言えば、私がたどり着いたのは「何かあっても、最後は死で終わらせることができる」ということでした。
生が辛い状況では、終わらせる選択があるという事実が、救いにつながると思ってます。
そんな考えに納得がいった結果、「何かあっても死ねば終わらせることができる」=「人生は死ぬまでの暇つぶし」という考えに至ったのです。
ただ、死は大事なラストイベントなので最後のお楽しみにとっておこうとは思っています。
暗い話になったので「死んでもいい'98」のリンクを貼っておきます。
「納得」は全てに優先するぜ!
こうした人生観などの考え方って、①論理的に理解できることと、②納得することには天と地ほどの差があると思います。
上に書いた私の死生観も、論理的には破綻していないと思ってますが、一方で大勢に納得を得られるとは思っていません。
これも昔はどう表現したものか…と思ってましたが、ジョジョの奇妙な冒険第七部のジャイロ・ツェペリが的確にシンプルに表現していました。
それが『「納得」は全てに優先するぜッ!!』というセリフです。
彼は、(国家ぐるみの冤罪のような罪で)処刑されるマルコという子どもが、「本当に処刑されなければならないのか?」を納得するためにレースに参加しています。
少年マルコを救いたいのではなく、自らが納得するためです。
りとさんも「心の負荷が軽くなった」と書かれていますが、これが正に納得ということのかなと。
「悟る」とか「認める」、「腑に落ちる」、「腹落ちする」などと言い換えられますかね。
的確な例えが思いつきませんが、例えば「金のために人を殺す」のは、到底「納得」できませんが、殺人の動機として「理解」はできます。
これも、りとさんのようにマインドフルネスから得られるものもあれば、夏の朝にキャッチボールをしていたら分かるかもしれません。
説明ならできないけど、ある日急にわかることがある。
前向きに後ろを向く
りとさんの記事を読んでいて、大変感心したのが
全てが等しく経験なのだと思ったら、何も無駄なことはないし、全てが大事な暇つぶしってことになります
という部分でした。
私は対極の「突き詰めれば、全ては無駄な暇つぶしである」という解釈でしたが、そういう捉え方もあるんだなあと。
ただ一応、自己弁護をしておくと、上記は文章にすると後ろ向きですが、深刻に捉え過ぎないとか、悩み過ぎないために「全ては無駄な暇つぶし」と自分を納得させているのであって、「前向きになるために、後ろ向きに考えている」だけです。
死生観も然り。
死んでもいいやと思っているから、それなりに人生を楽しめるようになりました。
それでもやりたくないこと、なりたくないものはたくさんあるんですけどね。
病気とか、気の進まない仕事とか。
まとめ
今回は分かりにくい文章でしたし、暗い部分もありました。
箇条書きでまとめれば、
- 前向きな言葉だけが人を救うのではない
- 納得は全てに優先するぜッ!!
- 死んでもいい'98は良い曲
結局わかりにくいですね。私の文章力の問題でもあります。
このブログのコンセプトは、よく分からない文章の読後に、時間の無駄について考えさせることにあるので、そこはご了承ください。