今日から新学期です。
フェルナム学園の第12校舎の廊下は後ろ向きに進まないといけないけど、バルバリアの杖を持っていれば大丈夫。
スティリーズ校長先生は、この季節はエトミンの森に現れるカラクールたちには気をつけなさいって言ってたけど、門番スコラタスが見守ってくれている。
でもナクザマーのマントを着ていると、カラクールをおびき寄せてしまうから、あらかじめラトゥールの粉を撒いておいた方がいいね。
午後からはクラスメイトたちとピリグリーで遊んだ。ペガンダのサントのおかげで勝てたけど、まだまだ練習が必要。
夜になるとニンナークの街の方から、スメス・ドーラがやってきて盛り上がった。でもキャルロだけは何かぶつぶつ呟いて、サンミラーの山に行ってしまった。あそこにはグリーとケラオンがいるから、ヘンドラの杖とペンダントで退治しないと。
…みたいなイメージなんですよね。例えは下手なんですけどね。
ハリーポッターを見ている時の私の感想です。
ようやく3のアズカバンの囚人の途中まで来ましたが、前半のエピソードの必要性について、そして内容についてはあまり理解できません。
恐怖を表す妖怪の話も、あんなに尺を使ってやるべきなのか?
ハリーポッターに限らずですが、ファンタジー作品では往々にして、世界観や舞台の説明するのに専門用語やローカルルールみたいなのがたくさん出てきます。
ハリーポッターはそれが顕著だと思うんですよね。後の伏線になるのかもしれませんけど。
ファンタジーの楽しみ方としてはそういう世界観も大事なんだろうとは思うのですが、ストーリーにはあまり関与しない新用語・設定の洪水には、時としてちょっと辟易としてしまいます。
逆に言うと、私はそれほどファンタジー好きではないのだろうと思います。
世界観が理解できればスルッと入っていけるんですが…
たぶん異世界転生ものも典型的なRPGだったり、中世ヨーロッパ的なものだったり、とっつきやすい設定だから読者・視聴者も「そういうものね」と分かるのであって、突拍子もない世界だとついていけないでしょう。
重力などの物理法則や時間の概念などがまるっきり違ったり、そもそも人ではなく向き生命体のみで触手から出る汁が空気中に拡散することで世界が緑色になった時に、全生命体の動きが統一される瞬間が発生してその中でリーダーが決まり、そのコミュニティに属する生命全てがリーダーの意志で動く…みたいな意味の分からない設定はついていけなくなってしまいます(例えが下手その2)。
そう考えると歴代のRPGなどが築いてきた歴史というのも一般化したんだなあと感心もしますが。
ドラクエっぽい世界観って、少なくとも30歳代~50歳代くらいには、何となく共通認識があると思うんですよね。
FFは、FF13が出た時に「ファルシのルシがパージして何とかかんとか」みたいなネタにされたように、まさにファンタジーで世界観が複雑でもありますが…