特別お題「わたしの推し」
今回は「推し」の魅力を伝えませんか?というお題ですので、それについて。
結論が大事ですので、それは最後に書いてあります。
単刀直入に書くと、昨今の「推し」という言葉が若干気持ち悪いんですよね。
気持ち悪いというか、引いてしまうというか。
一昔前、「萌え」という言葉が流行りました。
私からすれば、それは勝手に個々人が萌え萌えキュンキュンしているだけで、別に無害なものでした。
一方で「推し」という言葉からは「押し」⇒「押しつけ」感を(私が勝手に)感じてしまいます。
もっと言えば「推し」とは、そのものを推奨している以上に「〇〇を推している自分」が主人公に感じるのがイマイチ受け入れがたいのかなあとも思います。
「アイドル萌え」は「アイドルから発せられる魅力」についての話ですが、「アイドル推し」は「その素敵なアイドルを応援する自分」というニュアンスに受け取ってしまいます。
たぶん親しい人から「これ絶対面白いよ!」等言われることは全く問題ないと思います。
ただ親しい人がいない私からすれば、「これ絶対面白いから!」とか「あれは本当に素晴らしい」みたいな話をされると、迷惑またはハードルが上がってしまい、却って触れがたい存在になります。
実体験ベースで言えば、30歳前後で独身を謳歌していると、特に女性上司辺りから「私の同期でまだ結婚していないのがいてね、すごく良い人だから会ってみてくれない?」みたいな話が多くありました。
たいがいお断りなんですが、何回か断り切れずに会うだけ会い、こちらからは連絡先も聞かず、しぶしぶ交換してもフェードアウト又は早々に断つということをしていました。(当時は今以上にメンタルがやられていたので)
そうすると「せっかく紹介したのに何だ」みたいな話に拗れるんですよね。
そういうことが続いて以来、人が推薦するものを堂々と試すのはなるべく控えるようにしています。
なお本当に良さそうであれば、こっそり試してみて、良いものだったら良いといい、悪いものだったら試したことすら言わないようにしています。
違う例えですが、自分が怒っていても、自分以上にキレ散らかしている人を見ると大抵の場合、自分は「そこまで怒らなくても」と冷めるものです。
酔っ払いも軽い酔っ払いと深刻な酔っ払いがいると、軽い方が少しシラフに戻って介護にを得なくなるなんてこともあります。
「推し」なんていう押し付け(と私が感じるもの)を受け取ると、同等の熱量にない私からすれば、好きでも嫌いでもないものだったとしても、若干嫌い寄りになってしまいます。
それに加えて、定型文と言いますか、お約束や流行り言葉が好きではないという私のひねくれた気質もあるのでしょう。
ちょっと前はファンや応援等と言っていたのに、『「私の推しは~」みたいな言い回しをしたがる人』が苦手です。
ブログの書き出しをいつも同じパターンにしているとか、漫才のブリッジとか、そういうのはそれほど気にならないんですけどね。
というわけで、今回の話をまとめると、ひねくれ者には生きづらい世の中だということですかね。