さて日本遺産。
というわけで、前回は前振りだけでしたので、今回から箱根を徒歩で散策した結果です。
新しい日本遺産の発表が24日、私が行ったのが26日なので2日後でしたが、
特に賑わってなかったのが印象的でした。
そんな箱根街道を一部歩いてきた行程を晒していきます。
画像多めで下に長くなりがちですので、何日かに分けて書いていきます。
<目次>
小田原から箱根登山電車で。
朝、千葉方面より始発にまたがって、まずはJRで小田原へ。
もちろんお金が無いので新幹線などは使いません。
そして小田原から乗り換えて、箱根登山電車へ。
目指すは箱根湯本駅。
この2駅間は15分くらいでしたので、非常に近かったですね。
あっという間に箱根湯本駅。
わざわざ標高が書いてありますが、
小田原14m⇒箱根湯本96mなので、大した登山じゃないですね。
箱根湯本駅周辺は…?
私のうっすいうっすい記憶をたどると、もっと栄えてるイメージでしたが、駅前は観光客も含めて、人があまりいませんでした。
バスを一時間ほど待つので、周辺をぷらぷらしてましたが、
朝の7時半ですので、ほとんどの店も閉まってました。
一応、徒歩5分くらいでセブンイレブンはありました。
ロマンスカーが何度か入ってきてました。
「あじさいばし」なる橋を渡ってみるも、特に何もなし?
川の流れを薄ぼんやりと眺めてみる。
謎のハッシュタグのあるもの。
これが何を意味している建造物なのか分からない。
私の身長より低いから座れるわけでもないし…
ジャパニーズおもてなしを見せてやった
箱根旧街道を進み、箱根関所のある「元箱根」辺りまで行くのが目標です。
最初はバス乗り場の4番乗り場から、「畑沢」というバス停を目指します。おおよそ、15分で390円くらいでした。
バスを待っていると、韓国か中国の観光客に中途半端に英語で声をかけられました。
ガイドブックを示しながら、「この富士山が見えるところはどのバス停から乗ればいいのか?」と聞いている様子。
「こっちも旅人じゃけんのう」と答えようかと思いましたが、日本人のおもてなしを見せてやろうと、調べたうえで案内してやりました。
で、再び自分のバス停前に戻ると、
今度は180cm・180kgありそうな白人男性(他2名)が話しかけてきました。
バス停「箱根中宿」に行きたいらしい。
「バスはこのバスでいいが、歩いても行けるぜBOY」と答えると、がっちり握手されて感謝されました。
それで再びバスを待っていると、金髪レディが話しかけてきました。
どうやら小田原に行きたいらしい。
あの駅から電車に乗れ!と行って「Odawara Stationイキ」と言って見送ってやりました。
全く英語はできないに等しいのですが、お互い目的が分かっているので伝わるものですね(本当に伝わったか知らないけど)。
良いことをしたので良い気分でした。
ご当地ニョロモ
いつも通り、ご当地ニョロモを捕まえねばならなかったので、しばらく歩いて捕まえました。
これで神奈川県は処理済みへ。
バスで「畑沢」へ、いよいよスタート
ガイド気取りをしていたらバスがやってきたので乗り込みました。
目指す「畑沢」まで歩いても良かったのですが、それに1時間程度かかってしまううえ、道中は特に見どころも無さそう(?)だったのでショートカット。
この時点で朝食を食べていなかったのもあり、体力温存です。
畑沢に着くと、公衆トイレがありました。
外国人向けの小ボケが挿まれた注意書き。
気を取り直して、「箱根旧街道」を歩いていきます。
この畑沢は「箱根細工」が生まれ育った場所とのことです。
また、江戸時代は箱根旧街道の間の村として、茶屋が多く並んでいた場所だそう。
ここが、江戸から23里なので、おおよそ90kmくらいですね。
道中は、ところどころに案内看板が設置されています。
江戸時代は、1里ごとに塚が建てられていました。
そしてここからは国指定史跡「箱根旧街道の石畳」を歩いていきます。
これが石畳の様子。石畳と言っても、全くもって平坦ではありません。
元々、山道で登っている上に、石がけっこうボコボコなので、かなり疲れます。
そして、コケが生えているところもあって、乾いていても滑ります。
逆に石畳がないと、だいぶ楽に進めます。
こんな感じで森林浴を楽しみながら進めます。
石畳の構造に関する説明もありました。
江戸時代初期の工法を今に伝えているそうです。
小石を敷き詰めた上に大きめの石を置き、間を土で埋めています。
そして道路の脇には、排水路が掘られています。
再び、立て看板。
「石畳ができる前は、雨や雪のあとは大変な悪路で、旅人はひざまでぬかるむ泥道を進んだ」そうな。そりゃすごいのう。
行程は、いわゆる石畳だけではありません。
いわゆる現代の「道路」を歩くこともあります。
また、山道ですので、非常に曲がりくねった道もあります。
しかし、徒歩の人にのみ特権があり、階段でショートカットできる部分も。
階段は階段でちときついんですけどね。
しばらく歩道を進みます。ちょこちょこバス停もあり、バスで来ることも可能です。
「畑沢」からこの「橿の木坂(かしのきざか)」駅まで、私の健脚で徒歩15分ほどです。
何度目かの階段。
バス停の名と同様の「橿木坂」という坂があります。
「この坂を越えれば、苦しくてどんぐりくらいの涙がこぼれちゃう」らしいです。
畑沢から20分後、さらに進んでいく
登りということもあり、距離としてはあまり進んでいません。
20分弱歩いても、まだ1.5kmしか進んでいません。
「見晴茶屋」なる駅もありました。
少し休憩できることを期待しましたが…
残念ながら、ランチ営業のみのようでした。
さらに進み、「猿すべり坂」というバス停を発見。
猿すべりというのは嫌な予感しかしませんね。
ここで現在地もあったので確認。
畑沢~現在地~元箱根までの中間地点くらいでしょうか。
ちなみにこんな眺め。見晴のいい所は、そんなにありませんでした。
歩いているのはこんな感じ。
まあ歩いていて面白い道じゃあないですね…
そして日差しも出てきたので、5月といえど暑くなってきました。
そして「猿すべり坂」に気が付くこともなく、次の坂に到着。
「追込坂」という、これまた大変そうな名前の坂。
しかし、看板にもあるように、非常にゆるい道でした。ほぼ平坦。
中間地点・甘酒茶屋へ
そして畑沢から2.5kmほど進んだ後、ようやく目的の一つだった「甘酒茶屋」に到着!
こんな感じのザ・古民家な外観。
バス停も「甘酒茶屋」というストレートな名称。
また、駐車場も20台分くらいはありそうでした。
かやぶき屋根が良い感じです。
江戸時代から営業しているという超・老舗。
普通の道ならば1日で10里進めるところを、箱根は険しため、1日8里が限界だったそう。
そこで、箱根八里のうち「甘酒小屋」が4軒あったそうな。
今では、この「甘酒茶屋」を残して無くなってしまったそうです。
(さっきの見晴茶屋は違うのか、もうやってないのか??)
非常に雰囲気の良い感じ。
メニューは、甘酒(400円)と力餅(500円)、みそおでんやところてんも。
店員さんは、大学生くらいの若い女性が多かったです。
店内は囲炉裏を囲える席も用意されています。
外は色んな席が作られています。
こうした丸太でできた席もあり。
古民家の縁側席もあります。
私が迷った末に頼んだのは、甘酒とくろごまきなこもち(数量限定)。
限定と言われてしまったら、食べないわけにはいかないですね。
程よい甘さとゴマの風味でめちゃくちゃ美味い。
空腹だったこともありましたけどね。
甘酒はホットなので「暑いのにきついか?」と思いましたが、意外とあっさり美味しく飲めました。
空腹だったこともありましたけどね。
しょっぱい漬物も提供されました。
けっこう汗もかいていたので、塩分も欲しかったです。
江戸時代当時も、もしかしたらこのままのセットだったのかもね。
ここで栄養を吸収できたので何とかまた進む気力が湧いてきました。
この先はまた次回に続きます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。