~前回までのあらすじ~
日本遺産とは何か?
それも分からぬまま、「あーニュースでやってるからすごいんだろうなあ」という偏差値30くらいの思考で箱根を目指したGO。
そもそも箱根のどこが日本遺産なのか分からないまま、「箱根湯本って聞いたことある」という偏差値29くらいの思考で箱根湯本を出発。
朝ごはんも食べ損ねたので、バスを使うくらいの知恵はあったものの、暑さと上り坂で疲れ果てる。
そこに最初のセーブポイント「甘酒茶屋」を見つけたのであった。
<目次>
前回までのあらすじ
前回までの内容については、改めてこちらをお読みいただけると幸いです。
甘酒茶屋を旅立つ
甘酒茶屋に後ろ髪を引かれながら、再び進んでいきます。
概ね車道でしたが、ときどき思い出したように山道。
とはいえ、石畳or砂利道です。
ちょっと雰囲気のある杉林にでました。
看板には「箱根旧街道 元箱根まで40分」と書いてあります。
黒い看板には、国の史跡指定の内容が書かれています。
この辺りの石畳の道は、江戸時代の参勤交代に使われていたとか。
行けども行けども石畳
こんな感じで、石畳が続きます。
延々と続きます。
まだまだ続きます。
さらに続きます。
巨大な岩もあります。
「天ヶ石坂」という坂なので、これが「天ヶ石」なのでしょうか?
石畳に関する紹介看板。
昔はハコネダケという竹の一種を道に敷き詰めていました。
しかし、前にも書いた通り、ぬかるむと膝まで埋もれるらしいうえ、ハコネダケは金と労力がかかるそうです。
ここで気が付きました。
下の写真をごらんください。
石畳と並行して、道の左右に石段があるのが分かるでしょうか。
ここを通った方が、平らで滑らないので、石畳の数倍ラクです。
この画像も同様に、写真左の石畳なんぞより、写真右の土を通った方が快適。
休憩所から
こうしてやる気を取り戻しつつありましたが、「休憩所」があったので寄ってみました。
目の前の木が邪魔であまり高さも分からず、眺めがよさそうでそれほどでもない、不思議な東屋でした。
また石畳ですが、今度は下りです。
下りの方が、足元の滑り方がかなりのもので、急ぐと危険です。
二子山に関する看板。
ここは二子山なのだろうか?
動物っぽく見える石碑。書いてある文字は読めませんでした。
さらに進んでいくと、旧東海道にぶつかりました。
江戸時代の東海道と、鎌倉時代の東海道があることを初めて知りました。
そしてまた道案内看板。
元箱根まで15分のところまで来ていました。
ただ、「あと40分看板」から「あと15分看板」までの間で、17分しか経過していなかったので、一般成人男性なら、そんなにかからないものと思われます。
ここはその元箱根まで15分のところにある観音堂。
江戸時代に箱根関所を破ろうとして死刑になった「お玉」という少女を供養しているそうです。
観音堂に寄ってからも、再び直進していきます。
もはや先が真っ暗。
道が分かれているところもありますが、真ん中が正解です。
ここは権現坂と言うそうです。
小田原方面から来た旅人は、ここで一息ついていたとか。
ちなみに権現とは、神や仏が世に出るときに人間など仮の姿で現れることです。
さらに下り坂。あれだけ登ったのになあ。
木造>>石造
急に一見古そうで新しい、人工的な橋が出てきました。歩道橋みたいなものです。
歩道橋を渡ると、木の階段がありました。
これまで石ばっかりだったので、めちゃくちゃ快適な階段でした。
そして芦ノ湖へ
ここで再び箱根旧街道の解説看板。
どこからどこまでか正確に分かりませんが、芦ノ湖にはだいぶ近づいています。
そしてまた別の看板。
私の目指す元箱根はすぐそこですが、三島(静岡)まで続くそうです。
そりゃきつい。さすがは「箱根の山は天下の険」。
ケンベル&バーニーのお二人です。たぶんコンビ芸人でしょう。
というのも失礼なので真面目に説明すると、自然を大切にしましょうと言った人です。
そしていよいよゴールが近づいています。
このお寺は誰もいなかったのですが、由緒あるものなのでしょうか?
ただ、ケルベロスらしき番犬がいたので、ここは地獄かもしれない。
ようやく箱根関所が見えてきたと思いきや、まだ1km以上ありました。
そして船着き場に流れ着いた。そうだ、船に乗ろう。
~続く~