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【経済】エシカル消費とぼく。経済合理性と倫理と自己愛と。

「エシカル消費」という言葉をご存知でしょうか。

私は最近知りました。

せっかく覚えたのに使う機会がないので、ここで少し考えたいと思います。

 

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エシカル消費とは

エシカル(ethical)とは、「倫理的」という意味です。

倫理的消費、つまり人や環境、社会にとって望ましい消費活動の事です。

フェアトレードとか、オーガニックとか、環境にやさしいとか。

 

海外から伝わってきた概念ではありますが、毎年選考会が開かれています。

世界128社が選出されていますが、日本企業では花王とソニーが2019年にエシカル企業として「世界で最も倫理的な企業」に選ばれています。

 

sustainablejapan.jp

 

こうしたエシカルな企業の製品を買うことも、エシカル消費と言えるのかもしれませんね。

 

経済的合理性とエシカル消費

エシカル消費に属する消費活動を行おうとすると、純粋な経済的合理性とは合致しないケースが多くなります。

フェアトレード商品よりも、労働者を叩いて作った商品の方が安いので、そんな背景を無視すれば、後者の方が安いでしょう。

これは極端な例で言いましたが、別な例を。

例えば、途上国産の服を買ったとします。

これで途上国の労働者が(少しでも)救われる…という側面はありますが、品質が悪くてボロボロだった場合、すぐに代替品が必要になります。

労働者にとってはいいものの、消費者や環境にとってはマイナスが大きく、真のエシカルとは言えません。

この辺りがエシカル消費の難しいところですね。

経済的合理性とは相いれないこともありますし、単に買えばいいということでもありません。

 

ぼくのエシカル消費

私は世界の環境問題に興味関心が高いとも言えませんし、外国の労働者の方が低賃金で頑張っていることが、巡り巡って恩恵を受けていることも否定できません。

 

とはいえ、身近な生活環境は整えなければなりません。

ここからは、私の中でのエシカル消費について。

なので、Amazonがいくら便利だからと言っても、劇的に値段が変わらなければ近所の本屋で本を買います。

それは、私の周辺環境から本屋が無くなるとつまらないからです。

 

都内に出張すると美味しそうな飲食店はいくらでもありますが、戻ってきて千葉で食事をとろうと思いなおしたことも多々あります。

これは、同じ食事代を払うのであれば、地元のお店に使おうということです。

 

妹がパートタイムで働いている食料品店には、正直なところ少し高いのですが、月に数回は利用するようにしています。

それは、わが一族に雇用を発生させているので、応援したいという気持ちです。

 

そんな感じの理由で、その他の生活用品や飲食店、食料品などもこのように自分の周辺環境を考えたうえで消費するようにしています。

なので、ブラックな企業や潰れてほしいお店には、とことんお金を使わないように気をつけます。

 

エシカルか、エゴか

もはやエシカル消費とは異なり、非常に狭い視野で考えている「エゴ消費」かもしれません。

しかし、人間なんてどこまでいってもエゴの塊ですので、結局は自分の身の回りが良ければいいのです。

誰かのために何かしたいという気持ちも、環境を守りたいんだという思考も、「超俯瞰」すれば、それもエゴです。

 

とはいえ、世界のどこかで飢えている人を救いたいという気持ちと、私が自分の周辺環境を快適にしたいという気持ちは相反することは少ないです。

前者の崇高な理想は時々発揮できれば十分ですし、過度な負担を背負ってまで推進するべきものではありません。それはお金持ちに任せます。

「ついでに世界の環境や人権のためになればいいですね」くらいの認識は、常に意識しておきたいと思います。

 

というわけでまとまりがなくなってきましたが、普段の自分の生活環境と消費活動を、エシカル消費目線で見直したいと思います。

エゴだよ、それは!と言われるかもしれませんが。

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