今週のお題「秋っぽい日々を送ってますか」
(下書きに眠らせていたら、既に先週のお題かもしれない)
以下、だらだらと文章が続きますのでお暇な方のみお付き合いください。
秋っぽい飽きっぽい
さて、10月も中旬になり、朝晩がすっかりと涼しくなりました。
千葉は特に、台風の後から一気に涼しくなったなあという印象です。
夜風が秋めいて、というまもなく冬になりそう。
ここ数年は、夏が終わると一気に涼しくなる=寒暖の差が非常に大きい気がします。
秋が遅くやってきて、速く去っていく。
11月にはクリスマス商戦も始まりますしね。
私は去年から日光アレルギー並みに太陽光に弱くなってしまいましたので、日が弱くなってきたことはウェルカムです。
日光に当たらないとセロトニンが出なくなり、鬱傾向になると言いますが、肌荒れに比べれば問題ありません。きっと。
一方で、体温調節の難しさや、私の手持ちの洋服が少ないなどの問題がないわけではありません。
「フランス人は服を10着しか持たない」とかいう本がありましたが、普段来ている服はそれくらいかもしれません。
ちなみにあの本は大して参考にはなりませんでした。季節ごと10着とか。
秋と言えば、「〇〇の秋」と言われますね。
〇〇には、「読書」「スポーツ」「芸術」「食欲」「性欲」「惰性」「屈辱」「禍根」などが入ります。
逆に「〇〇の春、〇〇の夏、〇〇の冬」とはあまり言いませんね。プラハの春くらい。
それで思い出しましたが、「平成最後の〇〇」は気持ち悪いほど流行ったのに、「令和最初の〇〇」はそんなに聞かない気がします。良い事です。
秋っぽいで思いつきますのは、個人的なことですが、私のここ数年来の飽きっぽさは何でしょうね。
元々、何かに集中することが滅多にありませんが、仕事も基本的には順調すぎてむしろヒマになってきているので、より集中力が欠如してきているように思います。
最近面白かったのは、クレーマーのような顧客対応(電話)がありました。
「ごめんなさい。あ、今謝ったのはアナタが何言っているか理解できないからです。もう少し社会人としてどちらに非があるか考えてから話してください」と50代社長に対して諭す余裕も出てきました。
電話を聞いていた同僚が引いてましたけど、もう面倒だから適当対応です。
そんななか、ブログだけは継続500日をとうに超え、600日に到達しようとしています。
継続ではないブログ日数も、700日を超えておりました。
以前にも書いたように予約機能こそ使っていますが、それでも自分としてはすごいことです。
雑記なのに散らかっていないというのは永遠の悩みですが、どこまで散らかすのが正しい雑記の在り方なのか分かりません。
SEOやらアフィリエイトやらのためならば、何らかの特化ブログがいいんでしょうけど。
レビュー企画も最近来ませんしね。
先日、過去記事に「旅行関係の記事を書きませんか」みたいなオファーをいただきました。
でも私の旅日記って、調べて書くこともありますけどオススメしたりしなかったりするので、嘘を書きたくないという視点からすれば、やはり旅記事を有償で請け負うのは難しい気がします。
有償の旅記事ということは、大したことがなくても褒めないといけないでしょうし。
といっても、もっとお金に困ったらやらせていただくかもしれませんが。
私が(普段の記事程度で)書くと、またネット記事の質が低い云々言われちゃいそうですし。
私自身も先日、ネットニュースの内容がここ数年ひどい。みたいな記事を書きました。
テレビ・新聞を中心としたマスメディアによるニュースから、ネットニュースの需要が相対的に爆発的にニーズが高まっているのは分かるのですが、やはり文章の質は新聞の方が圧倒的に上ですね。
まあ上の過去記事では、名指しで批判もしていますが、ブログとニュースの住み分けはやはりしてほしいと思います。
さて、ニュースに話題が移ったので。
ニュースから記事を書くということもありかなあと思いますしたまに書きますが、あまり時事ネタばかり書いてもそれはそれでミーハーっぽくなっちゃいますしねえ。
最近で言えば、「献血ポスター」に関するはてなブログ記事をよく見かけます。
個人的にあの「宇崎ちゃん」とやらは、ポスターになる前から嫌悪感がありました。
ネット見ていると、一時期やたらと広告が出てきており、実にうっとうしかったです。
その広告で見たときよりも、あのポスターの絵柄の顔は気持ち悪かったですね。
性的な云々については正直よく分かりません。それ以上に顔が気持ち悪かったので。
だからと言ってポスターを外せだとか、環境型セクハラだとか言うのは言い過ぎかなあと思います。
そんなことを言ったら何でも規制になっちゃいますからね。
女性が肌を露出していたら、環境型セクハラと言ってもいいのでしょうか?
男性側からの主張は極めて立場が弱いので、難しいでしょうけどね。
そもそも、何かに対して「これは性的だ!」っていうのは結構勇気が要りますよね。
自分が特殊な性的志向だとして、「このポスターはくるぶしが強調されていて卑猥である」とか言えないですもんね。
もう少しまろやかなに例えれば、「この目線は性的な目線だ!」と主張しても、「いやいや、こんなものでエロスを感じるの?」的な否定をされかねないってことです。
例の献血ポスターにしても、「この程度で性的に不快感を覚えるなら、生きづらい世の中なんだろうな」と思ってしまいます(実際そうみたいですけど)。
でもそういう人に基準を合わせて、性的だから何でもNGとしてしまうと、極論を言えば産業も社会もかなりの損失になるでしょうね。
クリスマス商戦の話を少ししましたが、あれも「カップルで素敵に過ごすんですよ」と性的に煽って消費を高めるという意味では、性欲ありきの商戦とも言えます。
もちろん家族愛とかそっち方向もありますけど、若者にとってはそんなもんです(極論)。
私自身が性に対して欲が乏しいので分かりますが、恋愛や結婚願望が無くなり、それに関連する消費活動が発生しません。人口も減るでしょう。
そうするとまた廃校が増えて、私が廃校に行かされることになるのです。これは廃屋型スクールハラスメントです。
そういえば神戸市の須磨小学校の話も、最近はよく聞きますね。
相変わらず「いじめ」と言っていますが、「傷害」や「暴行」にしない理由はあるんでしょうか?
さておき、学校の教員にはもちろんまともな人もいるんですが、私が小学生当時の目線からしても、明らかにおかしい人もいました。
私の低学年の頃の担任は、生徒の頭をつかんで壁に叩きつけて出血させるなど、今にして思えば傷害事件の影響で、一年でいなくなりました。
その人も普段は面白い先生で通っており、神戸だったらそのまま続投していたかもしれません。
当時の千葉市でも異動はしていったものの、事件扱いではありませんでした。
ちなみに怒った理由は授業中にマンガを読んでいたとのことだったと記憶しています。
ただ、中高の方が先生方も「まとも」だったような気がします。
現職の教諭の方には大変失礼な言い方かもしれませんが、対象が6~12歳の児童と、13~18歳の生徒では、教諭の精神に与える影響も違うのではないでしょうか。
私なら、未就学~小学校低学年の集団を毎日相手にするのは、想像するに無理です。
そういう意味では、小学校教師や保育士の方は大変だなあと思います。
そういえば教諭の方が民間企業に研修に来る、というような取り組みがあったように聞いたことがあります。
教員は社会経験がないとは全く思いませんが(教育の場も社会ですからね)、民間と公はやはり考え方は違いますし、義務教育とビジネスもまた異なりますから、経験することは良い事だと思います。
逆に私も、一日くらいは教師的なことをやってみたいなと思わなくもないです。
大学の講義はちょこっとやったことありますけど、もはや大人同士ですからね。
結びにかえて
さて、久々にだらだらと思うままに書く日記でした。
「秋っぽい日々を送っていますか」というテーマでしたが、最後は教育界に物申していました。
書こうと思えばもっと書けるのですが、カルピスウォーターをさらに5対1で希釈したような薄さになりそうなので、この辺にしておこうと思います。
ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました。
時間は大切にした方がいいですよ。