良いか悪いか二元論では決められない言葉もありますし、何か方向性が行き過ぎていたり不安を感じる言葉たち。
そりゃあ「個人の感想です」くらいの予防線は貼りますよ。
ハラスメント
セクハラ、パワハラ等のハラスメント一式。
アルハラ(アルコール)、アカハラ(アカデミー)、スメハラ(スメル・匂い)など、もはや種類は無数にあるように思います。
最近できた言葉だと、「時短ハラ(ジタハラ)」、「キメハラ(鬼滅)」辺りですかね。
私も使っちゃってますが、まあこれは冗談として。
他人同士で暮らしていれば、多少のぶつかり合いがあるのが当たり前だと思っています。
が、この「ハラスメント」という言葉が一般的に認知されていくにしたがって、たまたまの意思疎通のミスなどが一気に「ハラスメントだ!」というある種の罪にされていくのではないかという不安があります。
そして新しい言葉ができると、どんどん制限されていってしまいます。
基準が曖昧なのがいけないんですかね。
超・極論をすれば、全ての〇〇ハラスメントを知り尽くした人がいたら、その人に話しかけてもハラスメント、無視してもハラスメント、会釈してもハラスメントという無敵状態になりかねない気すらします。
そんな、ハラスメントのハラスメント(ハラハラ)に怯える私が、職場で一番気にするのはセクハラとパワハラですね。
基本的に性欲も権力欲も薄い方だと思いますので無意識にやらかしていないと信じたいですし、意識的にも気をつけてはいます。
セクハラ対策で一番良いのは、相手に興味を持たず、業務上必要な会話以外は徹底的に接触しないことですかね。
プライベートな話を聞かされても、「へえ~」くらいで済ますくらいが、ガードという意味ではちょうどいいのかもしれません(これは別のハラスメントか?)。
相手に興味を持たないのは、私の得意分野なのでその点は自信があります。
部下の不始末に対しては、多少指導はしなければなりませんが、時と場合とやり方を考えないとパワハラにも通じます。
別に会社がひっくり返るような致命傷を与えたり、私を脅かす致命傷を与えたり(肉体的にも精神的にも)しなければ、たいていの事は別に「今後は気をつけてね」で済ますので、たぶん大丈夫かなあと思います。
ひっそりと助けることもありますしね。
ルッキズム
ルックスによる差別ということですが、確かに容姿がイマイチな人をそれで差別するのはよろしくありません。
芸人と言われる人たちの容姿いじりは昔から好きじゃないですし、女芸人は特に「ブスイジリ」か「むかつく女のマネ」ばかりで何が面白いのか全く分かりませんでした。
これも性差別かもしれませんし、もう10年くらいまともにテレビを観ていないので変わったかもしれませんが。
一方で、容姿が良い人・それを売りにしている人、例えばモデルさん等を引きずり下ろすようなことはあってはいけないんじゃないかなあと思います。
過度に痩せたモデルは見ていて不安になりますが、いわゆるモデル体型があってもいいと思いますし、それはそれで一つの才能や努力の結果だと思いますし。
大多数が綺麗・憧れと感じるなら、そういった人の美的感覚まで否定していいのかというのが難しいところです。
ただし(飛躍している感もありますが)、容姿に「美」があるということは比較の問題が発生し、すなわち「醜」な人がいるということにもなってしまいます。
そうなると、人の容姿には一切触れないが正解なのかもしれません。
ただ、これについては私が20年以上前から気をつけていることとして…
私自身は、当然?ながら人の容姿を貶せるような見目麗しい容姿はしておりません。
そのため、他人の容姿はいじらないようにしています。
そして更に、容姿が良いと思っても褒めることもしないようにしています。
つまりは「容姿の善し悪しは評価しない人でござんす」というスタンスで過ごしてきました。
男同士の会話だと「〇〇(モデルなど)はかわいいよね」ということもあるのですが、「まあ可愛らしいんじゃないですか」くらいで、決して手放しで褒めることはしたことがありません。
マウンティング・上から目線
割と近いカテゴリーなので、2つまとめました。
マウンティングってざっくり言えば、「自慢」「自己顕示欲」でいいんですかね。
マウンティング話をされたところで、こちらのメンタル以外に不利益はありませんし、メンタル的にも気にしない構造なので、そっちはいいんですが。
「上から目線」の方がちょっと使われ過ぎな感じがします。
「教授から上から目線で」とか「上司から上から目線で」と言った書き込みなどを見たことがありますが、それは上からでいいんじゃないの?と思います。
一応「目上」の人が上から見るのは仕方ないでしょうに。
ジェンダー
タイムリーな話で言えば、JOCの森会長が「女は話が長い」的な話で袋叩きになってますね。
これもあまり理解できていませんが、一般的には肉体ではなく社会的・文化的な性というニュアンスだそうで、男らしさ・女らしさとか平たく言えばそういうことです。
どちらかと言うと、ハラスメントに通じる話であるかと思います。
これが怖いと感じたのが、確かある国会議員が大臣になった時。
自分は座って食事か何かをしていて、隣に奥さん(奥さんって言うとまた問題なのか?)が立っている写真をSNSに上げていました。
それに対して「女性は立たせて自分だけ座って」みたいな批判が結構目についたこと。
ジェンダーへの恐怖というより、どちらかというとフェミニストかもしれませんが。
同じ理由で、マルちゃん正麺の四コマに苦情を出している人も怖いです。(知りたい方は検索してみてください)
一番やべーなと思ったのは、確か駅のポスター。
女性が歩きスマホをしている絵で「歩きスマホはやめましょう」みたいな感じのものに対して、「女性だけが歩きスマホをしているという偏見を生む!!」みたいな意見を散見しました。
あぁこれも(たぶん間違った)フェミニストへの恐怖かもしれません。
男女差別は無い方がいいというのは前提としても、そもそも性別以前に人と人とで完全な公平なんてありえないわけで。
それこそ、性以外の能力などで判断したとしても、「男だからこう評価された」「女だからこう評価された」と思われかねないリスクがあります。
これは性に限らず、人種やら宗教でもルックスでも同じリスクがあると思います。
「女性は家庭に入るべき」みたいな価値観は決めつけるのはよくありませんが、「家庭に入りたい女性」の否定は問題じゃないんですかね。
少し逸れますが、LGBT系の話で違和感があったのが、性別記入無しの履歴書が販売されたこと。
「性別で採用を決めるのは差別!」というのは分かるんですが、一般的な設備(トイレ・更衣室等)も大多数の人は分けねばならないですし、かといって全員が使えるトイレというのがいいのかわかりません。
そもそも男女で法律の適用が違う部分もあるのに、そこを埋めずにこういった動きが加速するのは少し不安です。
結局、そうまでして性別に拘りますかね?と思ってしまいます。
自分の性や志向について、そんなに悩まないせいかもしれません。
性別で云々言うのであれば年齢もそうですし、性格もそうですし、性別だけに拘り過ぎてるなあという気がします。
劣等感を武器にすると強い
弱い立場に置かれた人には、何らかのフォローは必要です。
しかし共通して思ったこととしては、「弱い立場の人がその立場を利用してのさばり、結果的に強者となる」ことも、私は不安なんだということに気づきました。
例えば、障害のある方に配慮は必要ですが、「こっちは障害者なんだから配慮しろよコラ!!」といきなり言われたら違和感があるでしょう。
立場の弱い人や、被差別とされる人たちが、必ずしも聖人ではありませんし。
私の思考はイマドキの成熟した社会には少し遅れているのかもしれませんが、直接言葉や態度等に出さなければ、思想はどうでもいいとも思っています。
こうして書いてはいるものの、匿名ですしね。
考えをアップデートしたいとも思いつつ、関わらないで済むならそれでいいとも考えてしまうのは間違っているのでしょうか?
おまけ
いつも以上にまとまらない文章になったので、以下の「頭が悪い記事シリーズ」でもついでに読んでいってください。