人の数以上に、日々いろんな作品や言説が生まれていって、玉石混淆の中で、素敵なものもあれば、そうじゃないものもあります。
そんなコンテンツの荒波の中で思うこと。
Amazonプライムで、「FREEZE(フリーズ)」のシーズン2が配信されてました。
やたらとホーム画面に表示されるから、知りたくないのに知ってしまうんですよね。
どうせそれほど面白くないんだろうと思いつつ、観始めてしまいました。
その予想は当たっていたわけですが。
ただ途中で気がついたのは、「これ、批判するために観ているな」ということでした。
確かに面白くないんですけど、一応話題性はある作品です。
とはいえ観る前から「シーズン1も面白くないと断言していた」という自覚があったにも関わらず観始めたのは、我ながらいかがなものかと感じました。
つまらないことを確認してつまらないと言うために観ている感覚。
※こういう時に過去記事があると便利ですね、やはりシーズン1もつまらなかったようです。
ネットの炎上事件に触れることも、これに近い感覚です。
興味を惹かれることは多少あっても、結局大したことでもない上、私には何の影響もないことがほとんど。
そこから考えさせられることも得るものも少ないし、わざわざ書き込まないまでも、炎上させた人に同調して批判したいだけなのかもしれない。
「悪」(本質的な善悪論は置いといて)と見下せることで安心感を得たいだけなのかもしれない。
そんなことに気がついたので、これからは批判のために作品やニュースを見ることはなるべく控えようと思います。
話題性やネタ程度に把握しておくことも時には必要だとは思いますが、この情報過多の時代にわざわざ拾いに行くこともないかなと。
ちょうどこれを書いている頃は「廃棄前提おじさん」なんてのが流行ってるみたいですが、「旅館に失礼だな」程度で一々触れるほど私への影響はあるまい。
批判的に物事を見ることで成長したり気づきを得たりすることはありますが、特にエンターテインメントの分野では、評論家(プロ)でもない限り時間の無駄となることがほとんど。
また、SNSは好きにブロックやミュートすべきと思ってますし、炎上界隈はすぐに(私のタイムラインから)鎮火できるから便利ですね。
直接こちらに火種を投げてくる人はもとより、放火する方もブロックしていいと思います。
一方で、「つまらなさを楽しむ」とか逆説的なエンターテイメントがあることは分かります。
とはいえ批判するためにやるなら、面白半分にクソゲーに手を出すくらいにしておきましょう。
(最初からクソゲーとは思わずにプレイしたのですが)
まとめると。
駄目人間だから気になっちゃうけど、批判のためにコンテンツを観る時間を減らそう。
おわり。