「青くて痛くて脆い」 住野よる 著
青春は青い春と書くように、青さというのは若さの象徴でもあります。
それは大人というか気力や体力を失った老いた身から見れば「痛い」とも取れますし「脆い」とも取れます。
そう考えると、私は若い心身であったことがないかも。
ただ大人も青春を忘れちゃいけませんね。
私の様になってしまいます。
あと、夏休みの宿題で読書感想文を書くなら、めちゃくちゃ書きやすい作品だなと思いました。
ネタバレを含みますけん、注意してな。
あらすじ
主人公の大学生・田端楓は、人に不用意に近づきすぎないことと、誰かの意見に反する意見をできるだけ口に出さないことを信条としていた。
自分が誰かを傷つけることも減るし、自分が傷つけられることも減らせるからだ。
大学の授業中、「この世界に暴力はいらないと思います」と突然言い出した女子。
田端楓を含め、教授も生徒も「何アイツ」「痛いな」というリアクションだった。
そんな周囲の視線を意に介さず、世界平和のための理想論を語る女子大生・秋好。
その後、田端楓はそんな彼女の痛い姿を何度も目撃する。
別の授業でたまたま隣に座った彼女に話しかけられたことから、二人の友情がスタートする。
理想を語る彼女を「痛くて青い」と思いながらも、どこか惹かれていく田端楓。
「なりたい自分になる」という理想を共有した二人は、「秘密結社モアイ」というサークル活動をスタートする。
4年生になった田端楓は、単位もほぼ取り終え、就活をスタートさせていた。
自分を偽りながら面接を受けることに疑問を抱き、理想の自分ではなくこれから社会人としても自分を偽り続けることに漠然とした不安を抱いていた。
そんな時、既に距離を置いていた「モアイ」の良からぬ評判を見聞きする。
そこで、田端楓はかつての理想を思い出し「モアイ」と対峙することを決意した。
拒絶されることは怖いのか
主人公の田端楓は、元々「他人にあまり干渉しない主義」だったはず。
それが、秋好が半ば強制的に彼に干渉してきたことで、その考え自体が自分の中で変わっていきました。
そんな新しい自分の新しい居場所となったモアイ。
そんなモアイが変わってしまったと感じたことで、自分自身が何だか分からなくなり、無気力で否定・拒絶されたと認識しているご様子。
その後は、秋吉とも距離を置き、自ら去っていきます。
自分は変わったということには気づかず、相手が変わってしまったことだけを責めて、あげく2年半後に(客観的にみれば)逆恨みしています。
そもそも「人と関わらないようにしよう」という誓いをたてる人は、孤独に向いていません。
私のように孤独に慣れ親しんでいる身からすれば、「そもそも人と関わらない」のであって、誓う必要性がありません。
誓いが必要な程度の人は、積極的に人と関わった方が良いと思います。
それを逆説的に言えば、私は「人とは少し関わるようにしよう」という誓いをたてるべきなんでしょうけどね。
どっちが正しいという話じゃないけど
最終的にというか終始、主人公サイドよりもモアイ側の方が正しいように感じました。
主人公は秋好に影響されて「青くて痛くて脆い理想論」を追求し、それが少しズレたと感じたらすぐにモアイから逃げ出し、さらに2年半も経って「復讐」のような形でその活動を潰した人。
秋好(モアイ)側は、サークルメンバーの迷惑行為や企業への個人情報売買はもはや犯罪行為ですが、活動自体は就活支援やBBQなど、それほど悪い事でも目立ったものではありません。
主人公があまりにモアイと発足当時の理想を神聖視したおかげで、自分自身とのズレを許容できなかっただけと映ってしまいました。
結果として、「犯罪行為(正確には知らんけど)の暴露」という社会的お墨付きを得た感じはありますが、それ以外は今話題のネット上での誹謗中傷に近い活動ばかり。
彼も最後に自分の過ちにも気が付いて、成長の糧にはなったようですが…
感想まとめ
どちらかと言うとという以前の問題ですが、私は主人公のような考えで大学生活を送りました。
あまり人と関わらない。
いや、主人公より孤独だったと思います。
主人公には秋吉や友人の董介がいましたが、私にはそんな数人の友人すらいませんでしたからね。
そのことに後悔がないかというと100%無いとは断言できませんが、それはそれで無駄な大学生活だったと思いながらも「無駄だったなあ」と思える時間があることも嫌いではありません。
この話をまとめると、主人公が「信条」としていたものをあっさり捨て去ったあげく、2年半も経ってから急に思い返して「復讐」を遂げ、最終的に「自分が間違っていた」という話と認識しました。
ジョジョ風に言えば、「『青くて痛くて脆い』のは俺だったァァッッ!!」ってことですかね。
まあ若かりし頃の信条なんてそんなもんだと思いますし、年齢的に大人になってもそんなもんだと思います。
私は信条やポリシーは極力持たないようにしています。
どうせ守らないですし、不安定な人間ですからね。
変にポリシーを持ってしまうと、それにこだわって逆に自由さ・身軽さがなくなってしまいそうで。
本としての感想を書いてませんでした。
まあ比較的読みやすいですし、高校生~大学生が読むにはいいかなと思いました。
最後には分かり合ってハッピーエンドという陳腐なオチではなかったですしね。
変化は良いことでも悪いことでもない
創作や現実でもよく言う「変わらなきゃ」というようなフレーズ。
あれって、いまいちピンとこないんですよね。
無条件に「変わる」ことを肯定しているようで。
「変わること=良いこと」なのではなくて、「良い方に変わる=好転できたら初めて良いこと」であって、反転することだって起こり得ます。
それが努力の結果ならまだしもですが、「あぁやらない方が良かったね」ということになるのも現実ではしばしば。
「やらないで後悔するより、やって後悔」にも近いものを感じますが、やらなければ「あぁできたかもなあ」というある意味希望を持っていられるので、それはそれでアリだと思っています。
だから今の私がこの体たらくなんだと言われれば、「そうですねえ」としか言えませんが。
小説における名前について
それにしても、「モアイ」という名前が最後までしっくりきませんでした。
若干ふざけた名前であるせいで、シリアスな場面にそぐわないというか。
本格サスペンスやハードボイルド小説で、登場人物に「ハム太郎」とか「ボボボーボ・ボーボボ」といった名前を付けないのに近いですね。
夜の帳が降り、ネオンが輝きだすころ、動き始める者がいる。
昼の光はまぶしすぎ、都会の闇こそが彼らの居場所だった。
そう、彼の名は「ハム太郎」。
この新宿で知る人ぞ知る、名うての始末屋なのだ。
というようなサスペンス・アクションの始まり方だったとしても、主人公の名前がハム太郎じゃ「ああ夜行性だからかな」みたいなことしか思わないでしょう。
「なのだ」って言っちゃってるし。
そこまで酷くは無いけど、ちょっと「モアイ」には違和感。
タイムリーな話(伏線回収)
この記事を書く直前、道端でちょっとしくじってヒザを強打し、青あざ&骨にダメージが残りました(たぶん折れてはいませんが)。
「青くて(青あざ)痛くて(ぶつけたので当然)脆い(骨が痛くて膝に体重掛けられない)」というタイトル名の回収に成功しました。
それにしてもヒザが痛みます。
厚手のズボンを履いていたのに、切り傷までできていました。
これがフンドシ一丁だったら、もっと大ダメージ(社会的にも)だったでしょう。
全治2~3日くらいで済めばいいのですが、年のせいですかね、
簡単な障害物が避けきれなかったのは。