G-log 日々思うこと

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【五島列島最終話】宗教と命と。信仰に身を捧げられるのか?

それぞれの人の上に神様がいる

情熱の源となり 争いも起こしてる

(吉井和哉「island」 より)

 

 

これまで載せてなかった教会画像を並べながら。

 

五島列島旅を終えて

長かった五島列島旅日記も、とりあえず締めに入ろうと思います。

周った教会はだいたい10個くらいでしょうか。

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五島列島だけでも50個程度の教会があるそうで、結構周ったつもりが割合としては

古いもの、小さいもの、世界遺産なもの、海沿いのもの、集落内のものなど多種多様です。

ただ、そのどれもがきちんと維持管理されており、五島という地域(恐らく長崎。天草もでしょうが)に全て根付いたものだなあと実感いたしました。

 

恩着せがましく書くわけではありませんが、基本的にお賽銭の類を一切しない私も、気持ちだけでもと献金ボックスに少額ですが投入してきました(ワンコインくらいですよ)。 


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五島列島とキリシタンの話(お勉強)

五島列島におけるキリスト教について、少し述べておきます(いまさら)。

1549年、フランシスコザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教を伝えました。

翌1550年、彼は長崎の平戸にて布教を開始しました。

1563年、五島の領主だった宇久純定という人物が、イエズス会に医師派遣を要請。

1566年からは、本格的に不況が始まりました。

しかし、1587年に豊臣秀吉が禁教令と宣教師国外追放令を発令。

江戸時代になっても1614年にキリスト教は禁教令で禁止されました。

1637年には、島原・天草一揆が起きましたが、そんな甲斐もなく、以降もキリスト教は禁止され続けます。

 

時には弾圧、時には幽閉、時には拷問、そして処刑。

単純に禁止されたというだけでなく、非人道的な行為を伴う禁止措置がとられました。

踏み絵は有名な話ですが、それ以外にももっと直接的な暴力も多かったそうです。

 

そのように厳しく禁止されたにもかかわらず、人々の中に信仰心は残り続けました。

五島列島の教会が海岸ギリギリや山里の中にあるのは、元々その辺りに潜伏して暮らしていたためです。

1873年の禁教令廃止後に、その地域の人々が信仰を守り続け、これからも続けていくべく、今の各地に建てられることになりました。

お金などで苦労したところも多く、信徒たちが自分たちも建設に関わって造り上げた教会もあります。

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信仰のために暴力や命に耐えられるか?

さて、そんな暗い歴史を持つ五島のキリシタン史ですが…

自分に置き換えたときに、そこまでして守るべき信仰があるでしょうか?

信仰心が無いと言いますか、そもそも深く考えると信仰というものがよく分かりません。

宗教から離れて、「信念」と言い換えてもいいかもしれません。

 

禁止され、暴力も受け、命を失ってまで守るべき信念。

うーん、私には全くあり得ませんね。

命はそれほど惜しくありませんが、やはり殺されるのは御免こうむりたいですし、痛いのは嫌です。

「信念や固定観念を持たないのを信念にしたい」と思っているので、命を懸けてまで…というのは想像がつかないことです。

 

しかし、この五島にはそれを守った人々がいて、守り続けている人がいます。

そんなことを知って感じ取っただけでも、来て良かったと思いました。

 

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「神」がいてもいなくても、心のよりどころがあることはいいことでしょう。

それを宗教と呼ぶのか呼ばないのかの差だけであって。

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また来なはれな。行けたら行くわー。

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おまけ:教会の中にて

平日だったせいか、教会の中でも人と会うことはほぼありませんでした。

どこかの教会に行った際、ぼんやりと十字架に張り付けられたキリスト像などを眺めていたら、ものすごく頭が締め付けられるような感覚になりました。

あれは私が神罰にでも触れたのでしょうか。

 

実際には、あまりの無音と空調(?)の関係で耳が圧迫されただけだったのですが、何か不思議な気分でした。

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