年々、新年感が失われていくのかな。
新年明けましておめでとうございます。
さて、この言葉に難癖をつけるとすると、新年の何がおめでたいのでしょう?
ネットで拾った結論を先に書くと、「神様が新しくやってくるから」だそうです。
歳神様(としがみさま)という神様は、新年に家にやってきて幸福を授ける神様だそうです。
それがやってくるのでおめでたいということらしいですね(諸説あり)。
それに加えて昔の話ならば「1年を無事生き延びた」ということもあるのでしょう。
今よりも遥かに死亡率も高く平均余命も短いなか、1年を生き抜くだけでもおめでたかったのかもしれません。
さて、私の個人的な認識としては‥。
そろそろ自分の年齢も時々おぼつかなくなってくる年ですので、1年を生き延びたいともそれほど強く思っておりません。
歳神様については、今知ったくらいですし、普段の信心の無さを考えれば、神に頼ることも祈ることもありません。
一方で、日々生きていく中、もしくは何かを実行していく中で、何らかの節目は必要です。
その節目が新年・正月とも言えます。
他にも節目はいくつかありますが、社会全体の節目に合わせるというのはかなり楽です。
例えば私の誕生日は私が忘れたら終わりですが、正月を忘れることは普通に社会生活を送っていればないでしょう。
獄中でもおせち料理が出るなんて噂も聞きますしね。
一応、今年も元日くらいは家族一同で集まりましたが、それ以外は人も多いので外にも出づらく、3が日が過ぎれば普通に仕事ということで、どちらかというとメランコリックな気分で過ごすことになります。
なので議論が行ったり来たり、どこへも行っていなかったり、空中分解したりしていますが、正月は節目にはなり得るとは思います。
しかしながら、正月に対するおめでたいという気持ちや、イベント的な要素は、年々減ってきているかなあと思います。
そんなひとり暮らしの方も多いんじゃないですかね。
私の場合は、一応帰る実家があるのと仕事が休みなので、平日とは少し違う感じがまだ残っていますが。
と、のっけから正月にケチをつけても仕方ありませんので、少し前向きな話でも。
今年は、12月に購入したMacbookAir&GoPro9を何とか活用したいですね。ついでにドローンも。
後は、パソコンリセットで消えたイラストソフトの復元などもしたいですし、ゲームも変わらずやっていきたいですし、旅行はもう少し増やしたいですし、資産運用も少し見直したいし。
昨年末にも書いたように目標なんて大仰に掲げることはしませんが、何か前向きなこともしていきたいですね。
広く言えば、生活の充実といったところ。
最後に改めまして、本年もよろしくお願いいたします。
普段こういった挨拶をする場面も少ないので、そういう意味で新年はいいですね。