自立とは何だろうか?というお題が出ていたので、書いてみんとするなり。
真面目に考えていたら、面倒くさい言い回しになった上に、まとまりがなくなってまいりました。
文章量は短いですが、丁寧に優しい気持ちで読んでくだされば幸い。
依存先は生まれたときから増えていく
「自立」の対義語は「依存」と辞書に書いてあります。
生まれ落ちた頃、保護者に依存することなく生きる人はいません。
家庭内にとどまっていた時代から成長して、
社会に深く関わるにつれ、否応なく依存先は増えていきます。
学校、職場、お店、同僚、友達、恋人…
自立=複数の依存先を持つこと?
最近の、特に仕事のキャリア論における「自立」は、
自立=複数の依存先を持つ(≒副業やらパラレルキャリアやら)と語られることが多いですね。
会社のみに依存すると、捨てられたり倒産したりした場合に、生活が成り立たなくなってしまいます。
色んなところに足が乗っていれば、一本の足が折れても転ぶことはありません。というような理屈ですね。
広義の「自立」としては、これもアリだと思います。
狭義の「自立」としては、依存先を持っている時点で矛盾だと言われそう。
完璧なる「自立」は、無人島で自給自足、たった一人で生きていくようなものでしょうか。
もはや自立ではなく、孤立になりますね。それはそれで実践できるならば、敬意を表しますが。
私が考える自立とは、「自己の能力や判断力が行使できて、それによって自分が目指す生活を送れると感じていること」ではないでしょうか。
自立=必須ではない
ただ、一般的に「自立」を定義すれば、「経済的に自分の稼ぎで日常生活が送れること」=「最低限の自立」でいいように思います。
自分の給料で一人暮らしを始めたら、それはもう「自立」していると言えるでしょう。
ですので、「自立=必須、素晴らしい」ということはありません。
私の感覚で言えば、例えば専業主婦・主夫は、全く自立していません。
だからといって問題があるかというと、稼ぎのある人と共立していればそれでいいでしょう。
とはいえ、程度の問題が残る
ただし、共立も「単依存」(こんな言葉あるのか?)になってしまっては駄目でしょうね。
専業主婦・主夫は現状では良くても、配偶者が稼げなくなった場合に「自分は全く稼ぐ能力がありません」では困りもの。
そういう意味では、複数の依存先としての「他の収入源」「他の食料調達方法」なども構築していくことが重要です。
時々寄りかかるものがあればいい(精神論)
精神論的に自立と依存を考えると…
ずっと立ってると疲れるもので、ふらっと倒れてしまいそうになることもある。
時々は、その時にリラックスできるような、寄りかかるものが欲しい。
それが依存先であり、たまに寄りかかるくらいがちょうどいいように思います。
ただし、先ほども触れたように、特定のモノに寄りかかるのは良くありません。
アルコールに拠り所を求めて依存症になっては、自立も自律もできませんね。
永久機関に憧れる私ですが、世の中に永久不滅なものはありませんので、
単一のものに依存することを恐れています。だから未だに嫁さんも貰えん。
それに寄りかかりっぱなしもよくありません。
たまには自分の足で立たねば、いざと言うときに足腰が弱ってしまいます。
まとまりがないので強引なまとめ
自立には程度の問題がつきまとうので、最終的には「自立しているか否か、すべきか否か」は自分の気持ち次第。
「自立したい」と思えば「自分は今、自立している」と思えるように努力すればいいし、共立したいパートナーでもいるならば、それも良きかな。