G-log 日々思うこと

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【今週のお題】自立とは複数に依存することであるという最近の論調

自立とは何だろうか?というお題が出ていたので、書いてみんとするなり。

 

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真面目に考えていたら、面倒くさい言い回しになった上に、まとまりがなくなってまいりました。

文章量は短いですが、丁寧に優しい気持ちで読んでくだされば幸い。

 

 

依存先は生まれたときから増えていく

「自立」の対義語は「依存」と辞書に書いてあります。

生まれ落ちた頃、保護者に依存することなく生きる人はいません。

家庭内にとどまっていた時代から成長して、

社会に深く関わるにつれ、否応なく依存先は増えていきます。

学校、職場、お店、同僚、友達、恋人…

 

自立=複数の依存先を持つこと?

最近の、特に仕事のキャリア論における「自立」は、

自立=複数の依存先を持つ(≒副業やらパラレルキャリアやら)と語られることが多いですね。

会社のみに依存すると、捨てられたり倒産したりした場合に、生活が成り立たなくなってしまいます。

色んなところに足が乗っていれば、一本の足が折れても転ぶことはありません。というような理屈ですね。

広義の「自立」としては、これもアリだと思います。

狭義の「自立」としては、依存先を持っている時点で矛盾だと言われそう。

完璧なる「自立」は、無人島で自給自足、たった一人で生きていくようなものでしょうか。

もはや自立ではなく、孤立になりますね。それはそれで実践できるならば、敬意を表しますが。

 

私が考える自立とは、「自己の能力や判断力が行使できて、それによって自分が目指す生活を送れると感じていること」ではないでしょうか。

 

自立=必須ではない

ただ、一般的に「自立」を定義すれば、「経済的に自分の稼ぎで日常生活が送れること」=「最低限の自立」でいいように思います。

自分の給料で一人暮らしを始めたら、それはもう「自立」していると言えるでしょう。

 

ですので、「自立=必須、素晴らしい」ということはありません。

私の感覚で言えば、例えば専業主婦・主夫は、全く自立していません。

だからといって問題があるかというと、稼ぎのある人と共立していればそれでいいでしょう。

 

とはいえ、程度の問題が残る

ただし、共立も「単依存」(こんな言葉あるのか?)になってしまっては駄目でしょうね。

専業主婦・主夫は現状では良くても、配偶者が稼げなくなった場合に「自分は全く稼ぐ能力がありません」では困りもの。

そういう意味では、複数の依存先としての「他の収入源」「他の食料調達方法」なども構築していくことが重要です。

 

時々寄りかかるものがあればいい(精神論)

精神論的に自立と依存を考えると…

ずっと立ってると疲れるもので、ふらっと倒れてしまいそうになることもある。

時々は、その時にリラックスできるような、寄りかかるものが欲しい。

それが依存先であり、たまに寄りかかるくらいがちょうどいいように思います。

 

ただし、先ほども触れたように、特定のモノに寄りかかるのは良くありません。

アルコールに拠り所を求めて依存症になっては、自立も自律もできませんね。

永久機関に憧れる私ですが、世の中に永久不滅なものはありませんので、

単一のものに依存することを恐れています。だから未だに嫁さんも貰えん。

 

それに寄りかかりっぱなしもよくありません。

たまには自分の足で立たねば、いざと言うときに足腰が弱ってしまいます。

 

まとまりがないので強引なまとめ

自立には程度の問題がつきまとうので、最終的には「自立しているか否か、すべきか否か」は自分の気持ち次第。

「自立したい」と思えば「自分は今、自立している」と思えるように努力すればいいし、共立したいパートナーでもいるならば、それも良きかな。

 

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