人間に価値の優劣なんてないんだ!
いや、冒頭の「人間に価値の優劣なんてないんだ!」は、勢いで書いてみただけで全くそう思っていません。
人間の価値に優劣はあると思います。
その価値基準に絶対的なものがなく人それぞれなだけで、誰にだって大切な人もいれば、大切じゃない人もいますからね。
さておき。
我々GO族の中で、筆頭とも傑物ともいえる人物(ここからは仮にドンと表記しますが、悪いことはしていません)が数か月前に亡くなりました。
落ち着いたので、その時思ったことを振り返ります。
といっても短めです。
私は通夜にて初の受付担当かつ、受付を仕切る役割を承りました。
ドンはたいそうな人物だったので、会場はかなり広め。
しかし近隣では最大級の施設を借りたと聞きましたが、それでも受け付けは大混乱。
通夜の経験は数回しかありませんが、500名以上の人が参列するのは初めてです(親族除く)。
読経の様子をちらっと見ましたが、半数以上が立ち見の状況でした。
そもそも坊さんも3人来てましたし、盛り上がり的にはパフュームのライブのイメージです。たぶん例えは間違っています。
それにしても通夜に500人というのは、一般人ではかなりの人数だと思います。
「人間の価値は葬式に参加する人数に比例するか?」とタイトルを書きましたが、ある程度は連動するかなと思います。
正確には、価値基準はそれぞれと書きました通り、多くの人から価値を認められていたという方が正しいかもしれませんね。
いずれにしても多くの人に慕われていたのは確かです。
多くの人が慕うというのは、客観的にも人間の価値があると言ってもいいのかもしれません。
私の葬式には親戚を除くと…明日死んだら8人くらいは来てくれるだろうか。
私もドンと直接的な交流はここ数年なかったのですが、職業人としての活躍や趣味で晩年近くまでゴルフや乗馬をしていたこと、常に周りに人がいたことなど、身近で敬意を持つ人物の一人でした。
悲しいものです。身内ながら、ご冥福をお祈りいたします。
そして最後は受付での愚痴。
議員というのは本当にルールを守らないですね。
芳名帳に名前を書けといっても、自分アピールのため「名刺を置いていきますから」と議員の名刺を置いていきます。
一元管理しづらいし失くしそうなので「皆さん芳名帳に名前を書いていただいてますので」と言っても無駄でした。
国会議員も地方議員もそこは同じでしたね。
芳名帳に名前を書かなかったのは、500人中3名、全員議員でした。
仕事上、時々議員と関わることがありますが、80%くらいは決して関わりたくない人ばかりです。
(ただ、名乗らずにちゃんと芳名帳に名前を書いた議員が来ていた可能性もありますが)