2018年10月13日から、映画も放映されています。
先日、「全身ガン」で亡くなられた樹木希林さんも出演。
映画はまだ観ていませんが読んでみて、映画 > 本のような気もしましたが、感想を述べていきます。
ネタバレというような内容の本ではありませんでしたが、内容にも触れていきます。
(一応)あらすじ
私も勘違いしていたのですが、これは小説ではなくエッセイでした。
著者である森下典子氏が、25年間、茶道を続けてきた中で得た、気づきや気持ちなどをまとめたエッセイ集です。
母親の友達であった近所に住む「武田のおばさん」。
立ち振る舞いにオーラがあり、素朴ながらもただのおばさんではない様子であった。
著者が大学生になったとき、母の勧めで従姉妹のミチコとともに、お茶を習うことになったが、その先生は「武田のおばさん」であった。
以降、何も分からないまま茶道の世界に飛び込んだ著者が、茶道を通じて感じ取った学び・悟りなどを綴っていく。
茶道を嗜んだ戦国大名たち
お茶の世界にはあまり興味がありませんでしたが、古くは織田信長や豊臣秀吉ら戦国大名も学んだといいます。
特に豊臣秀吉と千利休の、茶道を通じた政治的関係性の強さのエピソードは有名ですね。
最後は切腹を迫ったそうですけど。
狭い茶室は政治の場でもあり、精神性を高める場でもあり、 天下統一に近づいた彼らがこぞって学んだということは、その効果の証左と言えるでしょう。
日日是好日=毎日が素晴らしい日
タイトルにもなっている「日日是好日」。読み方は、「にちにちこれこうじつ」です。
「毎日が素晴らしい日」という意味です。毎日がspecial的な。
一般的に、晴れの日は気持ちもよく「良い日」とされ、逆に雨の日はじめっとして「良くない日」とされがちです。
しかし、著者が茶道の中で得た気づきでは、日々の暮らしの中に季節や自然の変化(あるいは普遍性)があり、それを得て楽しむための感受性を育てるのが茶道、という位置づけのようです。
悟りの世界
文章にして「毎日は良い日なんだから、感受性を育てて楽しみなさい」というのは簡単ですし、説明されれば意味は理解できるでしょう。
しかし、自分の気持ちが完全に「納得」して受け入れるのは難しいように思います。
著者も、茶道を始めたころには、何の理由も分からずに茶道の決まり事を守っているだけでした。
10年以上も茶道を続けた後に、「日日是好日」の精神にたどり着いています。
「日日是好日」 だけでなく、教えを自分のモノにするということは、
自分自身が「腑に落ちる」=心から納得する必要があります。
知識は理解するだけでいいですが、「心の持ちよう」などは納得が必要です。
それは、文字で読んだだけではまず無理なお話であって、年単位でかかってしまうかもしれません。
これは、禅や瞑想などにも通ずるものがあるように思います。
説明ならできないけど、ある日急に、分かることがある。
「悟り」というのは、こういう心境なのかもしれませんね。
※仏教としての悟りについては詳しくないので、一般論的に「悟り」と言ってます。
お茶・茶道じゃなくてもいい
お茶における様々な所作や決まり事は、それぞれに意味があります。
しかし、悟りを得るには、お茶・茶道が必須なわけではありません。
日々、延々と瞑想していて得られるかもしれませんし、一週間くらいで一瞬で得られるかもしれません。
お茶じゃなくて、書道かもしれないし、陶芸かもしれない。
練習していたら急に自転車に乗れるようになるように、繰り返すことでいつの間にかたどり着ける境地。
お茶のように、指導者がいて、プレイヤーが多数いて、コミュニティがあるものの方が継続できるかもしれませんが、必ずしもお茶でなくてもいいと思います。
ついでに瞑想について思うこと
瞑想の思考のコツとして、「いま、ここ」に集中するということが、どこでも言われています。
過去は変えられない。
未来は分からない。
大事なのは「いま、ここ」に意識を集中すること。
これが分かるようで分からないんですよね。
私なりの解釈と言いますか、もっと俗っぽい言い方をするならば、
「瞑想する余裕・安全性があるぐらいなら大丈夫」という、
少しひねくれた解釈で気持ちを落ち着けています。
布団の上であぐらをかいて、「何も考えない」なんてやっている時間と環境がある時点で、それなりに幸せと言えるのではないでしょうか?
そんなことを考えながら、時々は瞑想するようにしています。
しかし、果たしてこれで、瞑想の効果が出てくるのだろうか?
すっかり迷走しています。何ていう駄洒落を恥ずかしげもなく言えるような悟りを開きたい。