BoooONN!!!
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お盆ということで、お墓について。
ちょうど先日も記事に書いたように、「死」について考える中で、動画でちょっとお勉強をしています。
そこで学んだ知識も書き並べつつ、お墓について思うこと。
墓とは、生者と死者の接点である
あまりこういう視点(というか単語)で墓を捉えたことがなかったのですが、墓って死者との接点なんですよね。
位牌や遺影はあくまで単なる物質に過ぎませんが、墓の下には骨壺が埋まっているという点では、物理的な接触距離もかなり近いです。
だからあーだこーだというわけでもないのですが、何となく「死者との接点」と考えると、少し認識が改まった気がしました。
墓にも地域性
まあこれも当たり前と言えば当たり前ですが、いろんなお墓があります。
全国に旅行した私ですが、墓は基本的に観光地じゃないですし(古墳等を除く)、あまり写真に撮るのもいかがなものかと思うので、それほど墓の地域性に注目したことはありませんでした。
東北・仙台あたりは黒御影でつくる=つまり黒い石だそうです。
しかし関東まで南下すると白っぽくなっていき、京都は白いそうです。
そんな私でも気が付く程に特徴的だなあと思うのはやはり沖縄のお墓。
毎回見るたび、こちらの墓より一回りも二回りもでかいと感じます。
たまたま見かけた墓というより、墓地に立ち並んでいるものが概ねでっかいので、沖縄はそういう文化・地域性なんでしょう。
亀甲墓なんていうみたいですが。
また、全く知らなかった墓知識としては、1人に対して複数の墓を作る文化があるんだそうです。
両墓制というそうですが、京都、滋賀、岐阜、長野などの中日本あたりにある文化だそうで。
一つは骨壺も埋めるのですが、残りは単なる記念碑的なものだそうで。
骨壺が無い方がケガレがないそうですが、そうすると墓はケガレているのか?
でも死=ケガレ(スピリチュアルな意味でも、死体腐乱という意味でも)でもあるから、それもまた然りなのか?
お墓についての個人的考え
傍若無人な私も、お墓はさすがに無礼には扱えないなあと思います。
神も仏も信じないと言っていた私も多少は丸くなったこともありますし、そもそも「他人が大事にしているものを邪険にしない(例外あり)」という考えに基づけば、墓はかなりデリケートな部類。
死んでるとはいえ人の尊厳に大きく関わることですから、慎重に取り扱った方がいいのでしょう。
うろ覚えですが、設置したり動かしたりするのも許可事業者でないと駄目だったような?
墓参りという行為自体にはそれほど価値を感じていません。
死者の事を思い出すことはありますが、それはお墓に行かなくてもいいですし。
もっとも、まだ記憶のある親族で死んでるのが祖母くらいなので、その辺の情緒がまだ育っていない私でもありますが。
とはいえ35歳にもなると、同級生では少なくとも1人は死んでいますし、友達の親はもう何人も亡くなっていることでしょう(友達いないから分からないけど)。
墓の基本的なルールがイマイチ分かっていないので、その辺も少し掘り下げて学ぼうかなあ。墓だけに。
というつまらないオチで終わりましたが、今年は太陽アレルギー悪化に伴い、墓参りは控えています。
信心とか由来はさておき、竹を切らないと荒れるんだよなあ。
過去記事:お盆の由来について
こちらをご覧ください。
全く記憶になかったのに、書き出しがほぼ同じということはまるで成長していないということだ。
ごめんお釈迦様。