誰も取り残さないのは難しいね。
最近、SDGsに関する話題をよく耳にします。
数年前から聞いてはいましたが、コロナ禍で前向きな話題も乏しい中、それでも実践すべき方向性ということで、機会が増えたのかなと思います。
「持続可能な開発目標」というのが訳語ですが、まあ私は「成長し続ける社会」よりも「縮小または横ばいでもいい社会」が好きなので、それほど信奉する気にはなれません。
ただ、個々の目標、例えば17個のゴールについては、細かい点はさておき、総論賛成です。
大元となる考え方として、「誰も取り残さない社会」という項目があります。
これ自体も、総論としてはもちろん賛成です。
ただ、取り残さないために多大なコストを払う必要があるのか?ということは時と場合によるかなあと思います。
というのが長~い前フリで、後は会社の愚痴です。
反社(反"会社"的人間)を自称する私ですが、私以上に努力しない人に対しては非常に厳しく接しています。
何故なら私のようにサボろうとする人が増え続けると、私がサボってられなくなるからです。
なので、業務改善や効率化については、それなりに取り組みも研究も行なっていますし、業務外でもバレンタインデーの社内廃止などの成果を挙げています。
それでここからはデジタル化推進の話です。
弊社社長より、「DXを進めよ」という指示が出ていることもあり、またその方が楽なことも多いので、いろんなところをデジタル化しようとしています。
簡単なところで言えば、ペーパーレスやソフトウェア導入・開発などを進めております。
そうすると、ITレベルの極めて低い弊社内では、デジタル化の波についてこれない人がいるんですよね。
といっても、素人に使えないソフトウェアを導入するとかそんなレベルではなく、一般的なグループウェアの導入とか、「こんな回覧物くらい共有フォルダにいれとけ」くらいのレベルです。
それで「誰も取り残さない」に戻るのですが、最低限の知識やスキルも無い人まで取り残さない必要があるのか?ということです。
まあ知識・スキルが無いことは仕方ないにしても、全く学ぼうともしないという人まで取り残さないのでしょうか?
「社会」ならそれが正しいのかもしれませんが、少なくとも「会社」ではそうではないと思っています。
「社員の9割くらいが特に説明なく使える」程度のWEBサービスの使い方がよく分からない。それに対し、何の努力もせずに「デジタル化といって我々を取り残す気か」と言われても、最近は上席者に対しても「そうですね」と答えるようにしています。
そういう人もSDGsの概念は(やたら研修があったせいか)知っていて口にするのですが、それは社会の問題であって、会社の問題ではないと思います。
一方、社会でも難しい問題です。
「コンパクトシティ」という概念は、お金や労働力が無くなり縮小していくこれからには必要な考え方だと思っています。
例えば、橋の向こうに住んでいる人がたった一人の場合、その人が引っ越してくれれば、何億円もかけて橋を修繕する必要もなくなります。
ただこちらは人道上の問題や、法的にも憲法に関わってくるので、もちろん「お宅のせいで何億円もかかるので、全体のために引っ越せ」とは言えないんですけどね。
そういうこともあって、成田空港のど真ん中にはまだ家が建っているんでしょうし(なくなるんだっけ?)。
まあ公共の福祉と個人の権利の問題は込み入った話になるのでさておき、会社はある程度の線引きをしちゃっていいと思います。
そして、いつか又は近い将来、私も線の向こう側に行くのでしょう。